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中御門資胤
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄12年5月14日1569年5月29日
死没 寛永3年1月17日1626年2月13日
改名 宣光→宣泰→資胤
戒名 乗蓮
官位 正二位権大納言
主君 正親町天皇後陽成天皇後水尾天皇
氏族 庭田家中御門家
父母 父:庭田重保、母:広橋兼秀の娘
養父:中御門宣教
兄弟 庭田重具正親町季秀資胤
中御門宣教の娘
清閑寺共房尚良、重秀室、山科言総
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中御門 資胤(なかのみかど すけたね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿右中弁中御門宣教の養子。官位正二位権大納言中御門家13代当主。

経歴編集

永禄12年(1569年)、大納言庭田重保の子として誕生。母は広橋兼秀の娘。中御門宣教の養子となって名を宣光とした(のちに宣泰、次いで資胤と改名)[1]

多くの役職を歴任したのち、元和3年(1617年)、正二位となる[1]。この頃には後陽成天皇譲位宣命使春日祭上卿を務めた[1]

寛永3年(1626年)正月に58歳で死去した[1][2]

官歴編集

系譜編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d 『戦国人名事典 コンパクト版』、574ページ
  2. ^ 中御門資胤(なかみかど すけたね)とは - コトバンク、2015年10月10日閲覧。

参考文献編集