中御門家

日本の公家

中御門家(なかのみかどけ)は、藤原北家勧修寺流勧修寺庶流公家華族。公家としての家格名家江戸時代家禄は、260幕末には200石。明治維新後、華族に列し伯爵を経て侯爵[1]家紋は竹に雀。

中御門家
家紋
竹に雀たけにすずめ
本姓 藤原北家勧修寺流庶流
家祖 中御門経継
種別 公家名家
華族伯爵侯爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
東京府
著名な人物 寿桂尼
支流、分家 中御門家 分家(華族 男爵
岡崎家(名家)
凡例 / Category:日本の氏族

動向編集

鎌倉時代中期、勧修寺経俊(吉田経俊)の四男、経継により創設される。

幕末明治維新期の経之は、国事に奔走し、議定、会計事務総督、留守長官などを歴任した。経之の子、経明は、1884年明治17年)7月7日伯爵の位を賜り、更に 1888年明治21年)1月17日に父経之の維新の功によって侯爵に陞爵した。経明には嗣子が無く、1898年に萬千子(まちこ)が中御門家を相続し、女戸主になったため、一度侯爵位を返上したが、翌1899年には分家から経恭(つねやす)を養子に迎え、再度侯爵位の叙爵を受けた[1]

経任系中御門家編集

また、経俊の弟である吉田為経の子・経任も「中御門」の家名を名乗っている。後嵯峨天皇の腹心であった経任在世中は、従兄弟である経継系よりも羽振りが良かったものの政敵も多く、南北朝時代初期に出た為治を最後に公卿が出る事なく没落する事となる。

歴代当主編集

系図編集

幕末の領地編集

国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の中御門家領は以下の通り。(6村・200石5升4合5勺)

  • 山城国葛野郡松尾谷村のうち - 36石5斗5合4勺
  • 山城国葛野郡松室村のうち - 20石9斗4升7合1勺
  • 山城国葛野郡上山田村のうち - 7石6斗3升
  • 山城国乙訓郡石見上里村のうち - 35石
  • 山城国紀伊郡下三栖村のうち - 58石3升3合
  • 山城国紀伊郡深草村のうち - 41石9斗3升9合

参考文献編集

  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366

関連項目編集