中村歌昇 (2代目)
日本の歌舞伎役者
(中村歌六 (4代目)から転送)
二代目 中村 歌昇(にだいめ なかむら かしょう、1925年(大正14年)7月15日 - 1973年(昭和48年)7月20日)は、歌舞伎役者。屋号は播磨屋。定紋は揚羽蝶、替紋は蔓片喰。
にだいめ なかむら かしょう 二代目 中村 歌昇 | |
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屋号 | 播磨屋 |
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定紋 | 揚羽蝶 |
生年月日 | 1925年7月15日 |
没年月日 | 1973年7月20日(48歳没) |
本名 | 小川貴智雄 |
襲名歴 | 1. 三代目中村種太郎 2. 二代目中村歌昇 3. 小川貴智雄(廃業後) 4. 四代目中村歌六(追贈) |
父 | 三代目中村時蔵 |
兄弟 | 四代目中村時蔵 初代中村獅童 萬屋錦之介 中村嘉葎雄 |
子 | 五代目中村歌六 三代目中村又五郎 |
持病の悪化のため歌舞伎役者を廃業、本名の小川 貴智雄(おがわ きちお)として脚本家・映画監督に転じた。没後8年目の1981年(昭和56年)に長男の五代目中村歌六から四代目 中村歌六(よだいめ なかむら かろく)を追贈された。
歌舞伎役者として
編集三代目中村時蔵の長男。三代目中村種太郎の名で1936年(昭和11年)5月初舞台。1951年(昭和26年) に、二代目中村又五郎らと梨苑会を結成し、元禄歌舞伎の復活上演など野心的な舞台活動を行う。
1953年(昭和28年)4月歌舞伎座で二代目中村歌昇を襲名。
しかし、幼少時から患った病気のため、志半ばで役者を廃業した。
制作者として
編集持病の悪化で歌舞伎役者を引退、本名の小川貴智雄として、まだ草創期ともいえるテレビ制作に携わることとなる。シナリオ作家(脚本家)や監督として活躍し、脚本では『女は同じ物語』(1960年、フジテレビ)、『竹千代と母』(1970年、日本テレビ)などを手掛けた。
映画監督・演出家としては『白馬の剣士』(1964年、東京放送)、特別機動捜査隊(NETテレビ、東映)を手掛けている。
また、映画・演劇俳優に転じた弟、中村錦之助の公演のために『殿さま弥次喜多』などの脚本を書くほか、古巣であった歌舞伎にも力を貸しており、1964年7月の父・三代目時蔵の追善興行には故人の当たり芸を集めた『偲草姿錦絵』を構成している。
死後
編集1973年、48歳で死去。死から8年経った1981年、長男の四代目中村米吉が、五代目中村歌六を襲名するにあたり、四代目中村歌六を追贈された。
外部リンク
編集- 歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優篇 「二代目中村歌昇」 - 歌舞伎 on the web
- 小川貴智雄 - テレビドラマデータベース