丹後 直平[1](たんご なおへい[2]1855年11月18日(安政2年10月9日[3])- 1920年大正9年)3月17日[4][5])は、日本の実業家篤農家[6]政治家衆議院議員(立憲政友会)[5]。族籍は新潟県平民[3]

丹後直平

経歴

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越後国蒲原郡本郷村[7](後の北蒲原郡中条町大字本郷[1][8]、現新潟県胎内市)で、丹後宗民の十二男として生まれ、1882年、丹後宗淳の後を相続した[3]。家は医業を営む[1]

漢学塾に入り漢籍を学ぶ[3]。経伝諸子百家の書を渉猟する[1]1873年大学南校に入学する[1]東京大学文学部で学び[3][4]、第一科を修める[1]。病により退学して帰郷する[2]

帰郷後、町村会議員、北蒲原郡会議員、新潟県会議員、学務委員、徴兵参事員などを務めた[3][4]。実業界では、農業、絵具塗料製造・販売を営み、蚕糸業組合長、中条共立銀行取締役などを務めた[3][4]。また、北越学館を創設し、館長を務めた[9]

1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に新潟県第二区から出馬して当選[4]。その後、第2回第3回第7回第8回第9回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算六期務めた[4]。この間、地方産業の振興に尽力し、そのため行政経費の削減、国民負担の軽減を主張した[7][8]。その他、立憲政友会協議員を務めた[8]新潟県北蒲原郡中条町大字本郷に居住した[3]

家族・親族

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丹後家 
  • 養父・宗淳[3]
    • ちよ1874年 - ?、北海道、相馬哲平の妻)[3]
    • きみ1881年 - ?、新潟、相馬熊次郎の長男・佳一郎の妻)[3]
    • すえ1887年 - ?)[3]
  • 妻・てえ1864年 - ?、東京府士族、三好周之助の長女)[3]
  • 女・りつ1892年 - ?)[3]
  • 息子[3]
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『新選代議士列伝』新潟県73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月22日閲覧。
  2. ^ a b 『日本現今人名辞典』た116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月13日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 初版』た518頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月8日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』402頁。
  5. ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月8日閲覧。
  6. ^ 『大日本篤農家名鑑』506頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月10日閲覧。
  7. ^ a b 『新潟県大百科事典』復刻デスク版、1204頁。
  8. ^ a b c 『立憲政友会功労者追遠録』207-208頁。
  9. ^ 現今日本名家列伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年3月13日閲覧。

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 『人事興信録 初版』人事興信所、1903-1911年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 新潟日報事業社出版部編『新潟県大百科事典』復刻デスク版、新潟日報事業社出版部、1984年。