丹羽秀延
日本の大名
丹羽 秀延(にわ ひでのぶ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国二本松藩の第4代藩主。通称は五郎三郎。官位は従四位下・左京大夫。丹羽家第5代。
丹羽秀延 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄3年(1690年) |
死没 | 享保13年5月5日(1728年6月12日) |
改名 | 尹重(幼名)、秀延 |
別名 | 通称:五郎三郎 |
戒名 | 泰雲院殿鐵山玄榮大居士 |
墓所 | 福島県二本松市の大隣寺 |
官位 | 従五位下左京大夫、従四位下 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 陸奥二本松藩主 |
氏族 | 丹羽氏 |
父母 | 父:丹羽長之、母:松木氏 |
兄弟 | 秀延、丹羽高寛正室 |
妻 | 正室:阿部正邦娘 |
子 | 養子:高寛 |
略歴
編集第3代藩主・丹羽長之の長男。母は家女房の松木氏。初名は尹重。正室は阿部正邦の娘。
元禄14年(1701年)2月3日、父・長之の死により家督を相続する。同年2月15日、5代将軍・徳川綱吉にお目見えする。元禄16年12月21日、従五位下左京大夫に叙任する。宝永5年(1708年)12月18日、従四位下に昇進した。
享保13年(1728年)に死去した。戒名は泰雲院殿鐵山玄榮大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。
子に恵まれず、藩祖・丹羽長秀の六男で旗本1500石となった丹羽長紹(丹羽長次)の子孫・長道の長男・高寛を末期養子に迎えた。
系譜
編集父母
- 丹羽長之(父)
- 松本氏 ー 側室(母)
正室
- 阿部正邦の娘
養子