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久保一色村(くぼいしきむら)は、愛知県東春日井郡にかつてあったである。現在の小牧市の北部(久保一色など)に該当する。

くぼいしきむら
久保一色村
廃止日 1906年7月16日
廃止理由 合併
現在の自治体 小牧市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
隣接自治体 丹羽郡楽田村東春日井郡味岡村東春日井郡岩崎村(※廃止当時)
久保一色村役場
所在地 愛知県
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1906年明治39年)7月16日に、岩崎村と共に味岡村に吸収合併されて廃止となった。

目次

地勢編集

合瀬川中流域に位置し、地内を新木津用水が流れる。他、薬師川後川佐久間川が流れる。

歴史編集

中世編集

戦国期に見える村名。尾張国春日部郡(春日井郡)のうち。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い楽田本陣とする羽柴秀吉が陣営をめぐらした地域の1つに「久保一色村」があった。

近世編集

江戸期~明治22年(1889年)の村名。春日井郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。明治13年(1880年)東春日井郡に所属。同22年市制町村制施行による久保一色村となる。

近代編集

明治22~39年(1906年)の東春日井郡の自治体名。大字は編成せず。明治24年(1891年)の戸数251、男556・女525。同39年味岡村久保一色となる。

近代編集

明治39年~現在の大字名。はじめ味岡村昭和30年(1955年)からは小牧市大字昭和6年(1931年)名岐鉄道によるガソリンカーが開通し、久保一色駅(現田県神社前駅)が置かれる。その後、現在の愛知県道102号名古屋犬山線(かつての上街道 (木曽街道)で、旧国道41号線)の改良が進み、東部丘陵地に田県西・田県東・久保山などの団地が戦後造成されて人口が急増した。一部が、昭和54年(1979年)田県町・久保本町・久保新町、同61年(1986年)久保一色東1~2丁目・葭原、同62年(1987年)久保一色南1~2丁目、平成30年(2018年)久保となる。

村高・役所・その他編集

村高は、「寛文郷帳」1,154石余、「天保郷帳」1,191石余、「旧高旧領」1,482石余。「寛文覚書」によれば、概高1,343石余、田76町余・畑14町余、ほかに概高6石余の新田2ヶ所、見取新田畑2反余、家数79・人数538、馬36、村内の入鹿井筋・木津井筋の堤は1,315間。善師野街道(上街道 (木曽街道))920間に道路修理人足を出す。また善師野宿助郷村。なお「寛文覚書」には、久保一色入鹿新田が当村の中に書き上げられ、高95石余、田9町余・畑2町余、家数7・人数34、馬4とある。「徇行記」によれば、給知1,268石余で岩間紋兵衛ら給人18、蔵入地81石余、久保一色入鹿新田は入鹿郷新田となっているほか、享保11年縄入の新田高11石余・田畑1町余、文化3年縄入の新田高25石余・田畑3町余があり、家数148・人数641、馬17。村内に水役所があり、新木津用水古木津用水入鹿用水の管理をしていた。

寺社編集

神社は、熊野権現・白山・神明・県(徇行記では廃社かとある)。しかし、県社(田県神社)は県の宮とも称し、今では奇祭の神社として知られる。 寺院は、臨済宗真福寺・曹洞宗久保寺、ほかに庚申堂地蔵堂があった。

脚注編集

参考文献編集

  • 角川日本地名大辞典23 愛知県
  • 小牧陣所之者之咄伝之覚/大日料11‐6
  • 寛文郷帳
  • 寛文覚書
  • 徇行記
  • 天保郷帳
  • 旧高旧領
  • 『味岡村勢要覧』(味岡村役場、1935年4月)
  • 『小牧市史』小牧市史編集委員会/編(小牧市、1977年3月)

参考ページ編集