久野 宗俊(くの むねとし、寛永20年(1643年) - 宝永3年(1706年))は、紀州藩田丸城代家老久野家3代当主。

父は久野宗晴。母は山本正春の娘。正室は小笠原庄太夫の娘。子は久野俊正。幼名は千松。通称は三郎左衛門。官位は従五位下・丹波守、和泉守。

経歴編集

寛永20年(1643年)、田丸城代久野宗晴の子として生まれる。慶安2年(1649年)、父の死去により7歳で家督相続する。幼いため紀州藩家老水野重良安藤義門の後見を受けた。承応3年(1654年)、田丸城代となる。万治3年(1660年)、田丸に初入部する。寛文2年(1662年)、従五位下・丹波守に叙任する。江戸に出府して、江戸城将軍徳川家綱に拝謁する。元禄3年(1690年)、和泉守に遷任する。元禄14年(1701年)、隠居して家督を嫡男の俊正に譲る。宝永3年(1706年)死去。享年64。

参考文献編集

  • 池山始三著「田丸郷土誌」

関連項目編集