久野俊正

日本の江戸時代前期~中期の武士。紀州藩田丸城代家老久野家4代。3代久野宗俊の子。従五位下和泉守、備後守

久野 俊正(くの としまさ、延宝2年(1674年) - 享保11年(1726年))は、紀州藩田丸城代家老久野家4代当主。

父は久野宗俊。母は鈴木常悦の娘。子は久野俊純、久(五条為範室)。幼名は千松。通称は左門。官位は従五位下和泉守、備後守。

経歴 編集

延宝2年(1674年)、田丸城代久野宗俊の子として生まれる。天和2年(1682年)、藩主徳川光貞御目見する。貞享5年(1688年)、藩主世子徳川綱教に拝謁する。元禄3年(1690年)、元服する。元禄7年(1694年)、田丸に初入部する。元禄11年(1698年)、将軍徳川綱吉に拝謁する。元禄14年(1701年)、父の隠居により家督相続する。宝永6年(1709年)、従五位下・和泉守に叙任する。享保8年(1723年)、公家五条為範に娘の久が嫁ぐ。正徳4年(1714年)、備後守に遷任する。享保11年(1726年)、死去。

参考文献 編集

  • 池山始三著「田丸郷土誌」

関連項目 編集