久野輝純

日本の江戸時代中期の武士。紀州藩田丸城代家老久野家6代当主。5代久野俊純の子

久野 輝純(くの てるずみ、延享2年(1745年) - 文化8年1月20日1811年2月13日))は、紀州藩田丸城代家老久野家6代当主。

父は久野俊純。正室は加納大隅守の娘。子は久野昌純。幼名は市之丞。通称は三郎左衛門。官位は従五位下・和泉守、近江守。

経歴 編集

延享2年(1745年)、田丸城代久野俊純の子として生まれる。安永2年(1773年)、父の死去により家督相続する。安永4年(1775年)、従五位下・和泉守に叙任する。天明6年(1786年)、加藤良房に命じて田丸城下に小池流水練道場を開かせる。寛政8年(1796年)、近江守に遷任する。享和2年(1802年)、熊野本宮大社造営の奉行を務める。文化8年(1811年)1月20日死去。享年67。

参考文献 編集

  • 池山始三著「田丸郷土誌」

関連項目 編集