二条為定

鎌倉時代後期~南北朝時代の公卿、歌人。勅撰集『玉葉和歌集』以下に124首入集。正二位、民部卿、権大納言。御子左家9代。出家。子に二条為貫(左少将、正五位下、早世)

二条 為定(にじょう ためさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿歌人二条為道(為通)の子。

 
二条 為定
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 永仁元年(1293年)?
死没 延文5年/正平15年3月14日1360年3月31日
改名 為孝(初名)→為定→釈空(法名)
官位 正二位民部卿、権大納言
主君 後醍醐天皇光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇崇光天皇後光厳天皇
氏族 御子左家
父母 父:二条為道、母:飛鳥井雅有の娘
兄弟 為親為定二条藤子中宮西園寺禧子宣旨後醍醐天皇側室)
土御門禅尼
為貫為遠定世為有覚家興福寺別当)、昭海良寿
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略歴 編集

父は早くに死去し、元亨3年(1323年)に参議となる。叔父の為藤の感化を受け、正中2年(1325年)に後継者として『続後拾遺和歌集』を撰集した。はじめ姉妹の権大納言三位局(懐良親王らの母)が宮人として仕えていた後醍醐天皇に近侍したが、元弘の変以後は天皇に従わず、北朝側に通じて延文4年/正平14年(1359年)に『新千載和歌集』(二条良基足利尊氏の推挙による)を撰出し、南北朝動乱の時期の歌道師範の家を守った。なお、文和4年/正平10年(1355年)8月17日に出家釈空と称するようになった。

為定の和歌は、『玉葉和歌集』以下の勅撰和歌集や『続現葉和歌集』以下の私撰和歌集に多数入集し、『文保御百首』などの定数歌もある。彼の詠歌を集めた『為定集』は2系統あり、一方は私撰集で、他方は為定の家集だが、いずれも為定自身ではなく、後人の撰によるものである。

系譜 編集

  • 父:二条為道(1271-1299)
  • 母:飛鳥井雅有の娘
  • 正室:土御門禅尼
  • 生母不明の子女
    • 男子:二条為貫
    • 男子:二条定世
    • 男子:二条為有
    • 男子:覚家 - 興福寺別当
    • 男子:昭海
    • 男子:良寿