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今泉 源吉(いまいずみ げんきち、1891年 - 1969年)は、日本法律家キリスト教伝道者。福音同志会の中央委員・日本基督教団中渋谷教会(日本基督教会)長老牧師を務めた。

母の今泉みね蘭学の家として知られる桂川家出身。母に回想録『名ごりの夢』口述を勧め、自らも『蘭学の家桂川の人々』を著した。

目次

生涯編集

佐賀藩出身の検事今泉利春今泉みねの三男として生まれる。東京帝国大学法学部を卒業。植村正久の後継者高倉徳太郎の神学を受け入れ、その協力者となり、「福音と現代」の発行を助けた。

1935年に月刊誌『みくに』を発行し、みくに運動を展開した。第二次世界大戦においては戦争協力の姿勢を示し、「キリストにより日本の国体を明らかにする」「皇国の使命を認識して、之をたすけることが最も神のみこころにかなうのである。」「大東亜戦争ユダヤ禍から世界を救う聖戦」と主張して、賀川豊彦を批判する。1943年に『みくに』を廃刊する。

死の2年前に『クリスチャン新聞』のインタビューに答え、1968年6月16日号に掲載された。

家族・親族編集

母の今泉みねは、桂川甫周(国興)の娘。母の回想録「名ごりの夢」は、源吉の勧めで口述が始められ、雑誌『みくに』に1935年から1937年まで連載された。

桂川家の史料は、みねを通じて源吉が引き継いだ。戦後『蘭学の家桂川の人々』全3巻を著している。源吉死後の1988年、桂川家の史料は今泉家から早稲田大学に寄贈されて「桂川今泉文庫」となった。

著書編集

  • 宗教団体法案と基督教会(日本基督教会対宗教団体法案特別委員会)
  • 日支事変と思想戦(松野重正と共著 みくに会 1937年)
  • 先駆九十年美山貫一と其時代(みくに社 1942年)
  • 蘭学の家桂川の人々(篠崎書林 1965年)
  • 蘭学の家桂川の人々 続編(篠崎書林 1968年)
  • 桂川の人々 最終篇(篠崎書林 1969年)

参考文献編集