伊藤祐一郎

日本の政治家

伊藤 祐一郎(いとう ゆういちろう、1947年11月17日 - )は、日本自治総務官僚政治家。元鹿児島県知事(3期)。総務省大臣官房総括審議官を歴任。

伊藤 祐一郎
いとう ゆういちろう
生年月日 (1947-11-17) 1947年11月17日(76歳)
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県出水市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員自治省総務省
所属政党 無所属
称号 法学士
旭日重光章

鹿児島県の旗 公選第16-18代 鹿児島県知事
当選回数 3回
在任期間 2004年7月28日 - 2016年7月27日
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概要 編集

銀行員である父親の仕事の関係により阿久根市鹿児島市などで育った。ラ・サール高等学校を経て、東京大学法学部卒業。最後の総理府地方分権推進委員会事務局次長であり、省庁再編後には初代の総務省大臣官房審議官を務めた。後に民主党代表を務めた小沢一郎自治大臣の際には大臣秘書官も務めている。

2004年に鹿児島県知事選挙に立候補。保守分裂の激しい中、元鹿児島県議会議長や元兵庫県副知事らを破って初当選。2008年再選。2012年に3選。

2013年5月に利用が低迷する鹿児島空港の上海便の航空路線維持のため県職員らの上海派遣研修事業を発表したが、批判が起こった。知事のリコール運動が起こるも2ヶ月で約27万5千人を集める署名で約15万人に留まり、リコールは断念となった。

 
2016年鹿児島県知事選挙における伊藤祐一郎(黄)と三反園訓(青)の得票率の差
伊藤は地元の出水市大島郡などの島嶼部で得票率が高かったものの、鹿児島市や指宿市(三反園の地元)などの市部では三反園に敗れた。

2016年7月10日に鹿児島県知事選挙で4選を目指し立候補するも、「保守系無所属」を掲げつつ民進・社民県連および一部の自民党系市町村議、元県議らの支援を受けた[1]三反園訓に敗れ、落選した。

2020年7月12日投開票の鹿児島県知事選挙に無所属で立候補。選挙期間中に立憲民主党鹿児島県連の推薦を受けたが、元九州経済産業局局長の塩田康一、現職の三反園の後塵を拝し、得票数3位で落選した[2]

2023年11月3日、秋の叙勲旭日重光章を受章[3]

人物 編集

  • 伊藤が2004年7月に初当選した知事選において奄美群島を遊説する際に医療法人徳洲会グループの軽飛行機を利用していた[4]

略歴 編集

家系 編集

鹿児島県出水市の旧家の出身であり、伝統的建造物保存地区に生家の武家屋敷が残っている。先祖は、島津家中興の祖といわれた島津忠良(日新斎)に仕え、南さつま市の竹田神社の日新公の墓の隣に祭られている井尻神力坊。

発言 編集

女性蔑視発言 編集

2015年8月27日の鹿児島県教育委員らが参加した会議で「高校教育で女子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいい」と発言した[5]。県内外からの批判を受け、伊藤は8月28日の定例記者会見で、発言について「自分自身も使ったことがないよねという意味。口が滑った」と述べ、訂正した[6]

この発言に対しては、「時代錯誤も甚だしい[7]」「男女平等の理念に真っ向から反する発言[7]」「女性蔑視、女性の人権を傷つけるものであり、看過できない[8]」などの批判が寄せられた。

女性団体や女性県議、市議らもこの発言を問題視し、抗議文を提出した[9]。また、連合もこれを問題視し、知事宛ての抗議文を県に提出した[8]

脚注 編集

外部リンク 編集

官職
先代
板倉敏和
  総務省大臣官房総括審議官
2003年 - 2004年
次代
大野慎一
公職
先代
須賀龍郎
 鹿児島県知事
第16-18代:2004年 - 2016年
次代
三反園訓