佐竹 義冨(さたけ よしとみ、天明4年2月2日(1784年3月22日) - 文政4年9月4日(1821年9月29日))は、久保田藩重臣佐竹東家14代当主。佐竹義方の三男。幼名は秀松、通称は冨之進、源六郎、将監、山城。正室は細川徳隣(谷田部藩主一族)の娘。子女は長男義徳、次男義珍、長女貞(佐竹義路養女、佐竹義致室)。
文化2年(1805年)5月、佐竹東家の当主佐竹義府の隠居により、家督を相続する。文政4年(1821年)、隠居し、長男義徳に家督を譲る。同年9月4日、死去。享年37。
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