佐藤 チヨ(さとう チヨ、生年不詳 - 1985年)は、樺太の先住民族ウィルタ(オロッコ)の語り部。

さとう チヨ

佐藤 チヨ
生誕 1910年明治43年)頃
大日本帝国 樺太
死没 1985年昭和60年)
北海道釧路市
国籍 日本の旗 日本
民族 ウィルタ
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人物・略歴 編集

1910年明治43年)頃の出生と推定される。樺太生まれ。敷香郡敷香町オタス出身[1]。ウィルタ名はナプカ[2]

第二次世界大戦終結後、北海道釧路市に移り住んだ[3]。言語学者の池上二良東京大学大学院に在籍していた1949年昭和24年)に池上と知り合い、池上にウィルタ語を教えた[3]1984年(昭和59年)、夫が死去した[2]。同胞である網走市ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(北川源太郎)とも交流があった[2][注釈 1]

池上二良との交流は、佐藤チヨが没する1985年(昭和60年)までつづいた[3]。池上は、1986年(昭和61年)に以下のように述べている[3][注釈 2]

佐藤さんはウイルタ語についての正確な知識を与えてくれました。それによってすでに知られていたことをたしかめたばかりでなく、さらにいままであきらかになっていなかったいろいろのことをあきらかにすることができました。また、ウイルタ口承文芸について、記憶されているかぎりの諸篇を口述してもらいました[3]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ダーヒンニェニ・ゲンダーヌは夫を失ったチヨを気遣っていたという[2]
  2. ^ 池上の言葉は『北海道の文化』54号(1986年)に収載されている[3]

出典 編集

  1. ^ 月刊シロロ2月号”. アイヌと自然 デジタル図鑑. アイヌ民族博物館. 2022年7月24日閲覧。
  2. ^ a b c d 津曲敏郎. “「小さな夢」を引き継ぐ 1.ウイルタとして生きる”. 館長の部屋. 北海道立北方民族博物館. 2022年7月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 内田實池上二良教授を送ることば」『札幌大学女子短期大学部紀要』第17巻、札幌大学女子短期大学部、1991年2月28日、Ⅱ。 

参考文献 編集

関連項目 編集