余部村 (兵庫県飾磨郡)

日本の兵庫県飾磨郡にあった村

余部村(よべむら)は、かつて兵庫県に存在していたである。1954年姫路市などと合併し消滅。現在の白鳥、青山両小学校区と峰相小学校区のほぼ西半分(打越地区)をあわせた地域に相当する姫路市中西部に位置していた。

よべむら
余部村
廃止日 1954年7月1日
廃止理由 編入合併
余部村曽左村八木村糸引村太市村姫路市
現在の自治体 姫路市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
飾磨郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 14.41 km2
総人口 4,745
国勢調査、1950年)
隣接自治体 姫路市曽左村菅野村揖保郡太子町太市村龍田村伊勢村
余部村役場
所在地 兵庫県飾磨郡余部村飾西
座標 北緯34度51分40秒 東経134度38分39秒 / 北緯34.86122度 東経134.64417度 / 34.86122; 134.64417 (余部村)座標: 北緯34度51分40秒 東経134度38分39秒 / 北緯34.86122度 東経134.64417度 / 34.86122; 134.64417 (余部村)
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JR姫新線余部駅があるのは当村であり、1946年3月1日に姫路市と合併した揖保郡余部村(現在の姫路市余部区)ではない。

概要 編集

現在の姫路市青山、青山西、青山南、青山北、西夢前台、川西、川西台、飾西、飾西台、町田、実法寺、菅生台の一部、打越、白鳥台、緑台にほぼ相当する。

沿革 編集

姫路市との合併に際し、曽左、八木、糸引の3村は姫路市の合併審議特別委員会委員が交渉にあたったが、余部・太市の両村については、姫路市長石見元秀が余部村出身であることから市長一任とされた。石見は1953年12月26日の委員会において「若し合併を申込んで拒否された場合、市長の顔がないことになるから、適当なる時期に姫路市に対して合併を申込ませてもらいたいと余部村の有力者は言つている状態である。結局、余部村は、下手に合併の意志表示をしない現状である。」「実際問題として曽左村が姫路市に合併してしまえば、余部村は変な恰好となり具合が悪い。しかし余部を姫路市に合併させんがために、曽左の合併に私が力を入れているように思われては甚だ迷惑である。」[1]と発言し、昭和の大合併において余部村は様子見ムードが強かったことがうかがえる。その後曽左村等との合併協議がまとまると、余部・太市の両村も遅れて姫路市に合併を申込んだことから、1954年2月の姫路市会で石見は「三村だけの合併審議委員が決ったときしまったと思い、余部と太市はバスに乗りおくれると心配した」[2]と語り、曽左村等との合併協議の行方が余部村を一気に合併の方向に向かわせた様子が見える。

経済 編集

産業 編集

『大日本篤農家名鑑』によれば、余部村の篤農家は「芦田徳市、川上雅夫、石見巻治」などである[3]

交通 編集

鉄道 編集

脚注 編集

  1. ^ 「姫路市史」p.68~69
  2. ^ 「姫路市史」p.75
  3. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、128頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月26日閲覧。

参考文献 編集

  • 姫路市史編集専門委員会編集「姫路市史」第13巻下史料編近現代3 令和2年5月31日発行

関連項目 編集

外部リンク 編集