信濃小路 長盛(しなのこうじ ながもり、生没年不明)は、室町時代後期の九条家家司

 
信濃小路 長盛
時代 室町時代後期→戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従三位、刑部卿?
主君 九条政基九条尚経九条稙通
氏族 醍醐源氏信濃小路家
父母 信濃小路兼益
信濃小路周可
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概要

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文明18年(1486年)7月29日には、足利義尚の右大将拝賀の地下前駈として見えるのが初見である。明応3年(1494年)9月2日には九条家の使者を務め、同5年(1496年)には当時の筆頭家司であった唐橋在数が殺害され、代わって和泉国日根荘の奉行となっている。

文亀元年(1501年)には勅勘を被った九条政基とともに日根荘に下向し、和泉守護の細川氏と対立した。永正元年(1504年)には帰京し、天文2年(1533年)には日根荘奉行を辞している。

天文3年(1534年)11月22日には近衛家と対立した九条稙通が京から出奔しており、長盛はこれに従っている。2人は同21年(1552年)4月5日に帰京した。翌22年(1553年)に証如と書状を交わしているのが最後の史料である[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 中脇聖『家司と呼ばれた人々』(ミネルヴァ書房、2021年)