元斌之
経歴
編集北魏の安楽王元詮の子として生まれた。527年(孝昌3年)、東郡の趙顕徳の反乱軍を討ち、これを斬った。この年、兄の安楽王元鑑とともに相州で葛栄に下った。北魏の都督の源子邕に夜襲を仕掛けたが、敗れて葛栄のもとに逃れた。葛栄が滅ぶと、北魏に戻った。534年(永熙3年)2月、潁川郡王に封じられた。7月、高歓が洛陽に迫ると、斌之は孝武帝の命により、斛斯椿と虎牢に駐屯した。しかし斌之は軍権をめぐって斛斯椿と争ったため、高歓の進軍を阻むことができなかった。孝武帝は関中に向かい、斌之は成皋で高歓と戦って敗れ、南朝梁に亡命した。536年(大統2年)、長安に入り、西魏に帰順した。尚書令に上った。後に死去すると、太尉の位を追贈された。諡は武襄といった。