前泊 哲明(まえどまり てつあき、1957年10月17日 - )は、沖縄県八重山郡竹富町西表島)出身の元プロ野球選手投手)。

前泊 哲明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県八重山郡竹富町
生年月日 (1957-10-17) 1957年10月17日(66歳)
身長
体重
182 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1979年 ドラフト外
初出場 1981年4月9日
最終出場 1985年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

興南高では エースとして1975年春季九州大会県予選準決勝に進むが、知念高に敗退。社会人野球日産自動車に進むも退社。一度は野球を辞めようとしていたが、興南高時代の恩師・比屋根吉信監督に説得されて体を鍛え直し、横浜大洋ホエールズのテストを受けて合格する。

1979年オフに、ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。

入団2年目の1981年4月9日読売ジャイアンツ戦で新浦寿夫と投げ合いプロ初先発勝利先発ローテーション入りしてチーム最多の21試合に先発し2勝を挙げるが、その2勝がプロでの勝ち星の全てとなる。翌1982年からは故障もあって低迷。1984年には中継ぎに回り、イースタン・リーグでは最優秀防御率を取るなどしたが、体の線が細くプロの投手としては根本的に体力が足りなかった。1986年限りで現役を引退。

引退後は、大洋と同じ経営母体の神奈川工科大学職員となり、就職指導などを担当している。

選手としての特徴 編集

得意球とする縦の大きなカーブが特徴の変化球投手。右の典型的なアーム式オーバースローの技巧派で、ストレートは最速130km/h程度。カーブのほかには、フォークシュートを投げた。

人物 編集

  • 初勝利を挙げた時には、巨人戦初登板初勝利という事で特に地元マスコミに注目され、家族には取材が殺到、当時活躍していたボクシング具志堅用高と合わせて、一躍沖縄の星と呼ばれた。
  • ガリガリに痩せた体型で、ニックネームは哲明の哲(鉄)と柱で「テッチュウ」。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1981 大洋 36 21 1 0 0 2 7 0 -- .222 468 104.1 129 12 40 3 1 56 0 0 69 61 5.28 1.62
1984 12 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 92 21.2 25 3 6 0 0 11 0 0 11 10 4.15 1.43
1985 29 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 162 39.0 39 5 15 3 0 23 1 1 20 18 4.15 1.38
通算:3年 77 24 1 0 0 2 10 0 -- .167 722 165.0 193 20 61 6 1 90 1 1 100 89 4.85 1.54

記録 編集

背番号 編集

  • 35 (1980年 - 1986年)

関連項目 編集