加地隆雄
来歴
編集1960年に定時制高校を卒業後、電通に入社し同社の横浜支社に配属された。当時の人事部長から「学費は出すから大学へ入れ」と言われ、駒澤大学経済学部に入学[1]。業務の傍ら学業もこなし、駒大を卒業した。1985年より横浜支社次長。
1990年に長年務めた横浜支社を離れ東京本社営業部に転勤し、営業局局次長や営業統括局主幹を歴任。1996年に電通子会社でドラマ制作会社の「C.A.L.」の代表取締役に。同社では人気時代劇「水戸黄門」の制作に携わった他、1997年に岡田茂東映会長に働きかけ[2]、時代劇コンテンツ推進協議会を設立した[2][3][4]。
2008年にC.A.L.を退社し、「加地コンサルティング株式会社」を設立。翌2009年10月、横浜ベイスターズ球団社長に就任した。加地が抜擢されたのは電通横浜支社時代に築いた横浜財界などとの人脈や、ベイスターズの親会社であるTBSとのパイプ役を期待されてのものである。就任後は横浜スタジアムでの試合時にはほぼ毎回ライトスタンドを訪れ、ファンとの交流を深めていた[5]。
2011年12月、ディー・エヌ・エーによる横浜ベイスターズの球団買収と共に球団代表取締役社長を退任。横浜DeNAベイスターズでは非役員として球団会長に就任した[6]。2012年オフに退団。
制作参加
編集映画
編集脚注
編集- ^ TBSの興味は? 横浜改革だ!加地社長アイデア経営術 - 夕刊フジ2010年1月22日配信、6月20日閲覧
- ^ a b 細野憲昭 (1998年5月11日). “【話の肖像画】 東映会長 岡田茂さん(4) 変わった時代劇を作りたい”. 産経新聞夕刊 (産業経済新聞社): p. 1
- ^ 山瀬一彦・竹内修平・鈴木直哉・竹内雄平・浜田陽太郎・原淳三郎 (1998年7月20日). “データが包む『@デジタル 何が情報社会なのか』”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 13細野憲昭 (1998年1月30日). “〔追跡〕TV・芸能 時代劇に春の足音 - - 多チャンネル化、高齢化社会を追い風に”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 29能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、437-438頁。ISBN 4-8083-0654-9。
- ^ 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、437-438頁。ISBN 4-8083-0654-9。
- ^ 横浜社長“倒れて”いた 既に復帰も最下位続くようだと… - 夕刊フジ2010年6月19日配信、6月20日閲覧
- ^ “人事に関するお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2011年12月2日). 2011年12月2日閲覧。
- ^ 横浜元球団社長、加地隆雄氏が死去 74歳、右翼席でファンと交流 スポーツニッポン 2015年1月22日閲覧