加藤守道
日本の政治家
加藤 守道(かとう もりみち、1885年〈明治18年〉9月17日[1][2][注 1] - 1960年〈昭和35年〉8月17日[3][4])は、愛知県豊川市長。東京市区長。基隆市尹。
経歴
編集新潟県新潟市出身[1][注 2]。加藤久之助の二男[2]。1906年(明治39年)、新潟県北辰館中学科を卒業し、1909年(明治42年)に文官普通試験に合格した[1]。日本大学中退[2]。新潟県中魚沼郡書記、同南蒲原郡書記、北海道庁長官官房勤務、岩手県九戸郡長、東磐井郡長、下閉伊支庁長を歴任[1]。1928年(昭和3年)、基隆市尹に転じた[1]。
退官後、東京市に入って中野区長、教育局庶務課長、神田区長、日本橋区長を歴任[5]。退任後の1942年(昭和17年)から、川村女学院理事を務めた[5]。1943年(昭和18年)、初代豊川市長に就任した[6]。ほか、大井興業監査役、六華会監事、豊栄信用組合、奉公協会各理事を歴任した[2]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 自治制度改正十周年紀念人物史 1931, p. 台北州14.
- ^ a b c d 人事興信所 1959, か19頁.
- ^ 「加藤 守道氏(大井興業会社監査役)」『朝日新聞』1960年8月18日、12面。
- ^ 「加藤 守道氏(大井興業監査役)」『毎日新聞』1960年8月18日、12面。
- ^ a b 人事興信録 1943, p. カ31.
- ^ 豊川市. “歴代の市長・副市長” (日本語). 2019年8月18日閲覧。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、226頁。NDLJP:1276156。
- ^ 人事興信所 1995, か36頁.
参考文献
編集- 橋本白水『台湾統治と其功労者』南国出版協会、1930年。
- 原幹次郎編『自治制度改正十周年紀念人物史』勤労と富源社、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第20版 上』人事興信所、1959年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第38版 上』人事興信所、1995年 。