加藤明経
近江水口藩の第2代藩主
加藤 明経(かとう あきつね)は、近江水口藩の第2代藩主。水口藩加藤家6代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保8年10月21日(1723年11月18日) |
死没 | 延享3年8月28日(1746年10月12日) |
別名 | 孫三郎(通称)、明通 |
戒名 | 通入院釋宗甫 |
墓所 | 京都府京都市東山区五条坂の大谷墓地 |
官位 | 伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 近江水口藩主 |
氏族 | 加藤氏 |
父母 |
父:加藤嘉矩 母:松浦棟の養女(秋月種封の娘) |
妻 | 正室:内藤信輝の娘 |
子 |
娘(加藤明堯正室) 養子:明煕 |
生涯
編集享保8年(1723年)10月21日、第3代藩主・加藤嘉矩の長男として江戸藩邸で生まれる。享保9年(1724年)に父が死去したため、家督を継いで第4代藩主となる。元文3年(1738年)12月18日、伊勢守に任官した。
しかし病弱であったため、延享3年(1746年)8月28日に死去。享年24。跡を養子の明煕が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 内藤信輝の娘
子女
- 加藤明堯正室
養子
- 加藤明煕 - 加藤明教の次男