北礀居簡
北礀居簡(ほっかん きょかん)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。字は敬叟。大慧下3世。
北礀居簡 | |
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隆興2年 - 淳祐6年4月1日 (1164年 - 1246年4月18日) | |
生地 | 潼川府(四川省中部) |
宗派 | 臨済宗大慧派 |
寺院 | 般若禅院、同西余大覚禅寺、鉄観音禅寺、浄慈山光孝禅寺 |
師 | 仏照徳光 |
弟子 | 物初大観 |
生涯
編集隆興2年(1164年)、潼川府(現在の四川省中部)で誕生した。俗姓は竜氏。故郷の広福院円澄に就いて出家し、径山の別峰や塗毒の許に歴参した後、育王山の仏照徳光の法を嗣いだ。嗣法して15年の後、台州の般若禅院の歴世となり、台州報恩光孝禅寺へ移る。その後病を得て飛来峰の北礀に住したことから、北礀居簡と称される様になった。10年を経て湖州鉄観音禅寺、西余大覚禅寺、安吉州思渓円覚禅師、寧国府彰教禅寺、常州顕慶禅寺、碧雲崇明禅寺、平江府常熟県慧日禅寺、道場山護聖万歳院で接化を行った。
淳祐6年4月1日(1246年4月18日)遷化。語録として北礀和尚語録があり、ほかに北礀文集、北礀詩集ならびに北礀外集が伝わる。また、墨蹟として登承天万仏閣偈が東京国立博物館にあり、北礀居簡墨蹟として重要文化財に指定されている。法嗣として物初大観や天祐思順らがいる。
脚注
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参考文献
編集- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.330 1985年
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