千秋 季隆(せんしゅう すえたか、1875年明治8年)10月10日[1] - 1941年昭和16年)5月12日[1][2])は、日本の政治家教育者位階従四位爵位男爵貴族院男爵議員

千秋 季隆
せんしゅう すえたか
男爵千秋季隆(1937年)
生年月日 1875年10月10日
出生地 日本の旗 日本愛知県愛知郡熱田
没年月日 (1941-05-12) 1941年5月12日(65歳没)
出身校 東京帝国大学文科大学国文学科
所属政党 公正会
称号 従四位
男爵

在任期間 1904年7月10日 - 1941年5月12日

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経歴 編集

愛知県愛知郡熱田(現名古屋市熱田区)で熱田神宮大宮司千秋季福の二男として生まれる[1][3][4]。兄・季美の死去に伴い、1877年(明治10年)5月30日に家督を相続[1][4]1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][4][5]

1900年(明治33年)東京帝国大学文科大学国文学科を卒業[2][3][4]國學院講師、早稲田大学講師を経て、学習院教授となる[2][3][4]

その他、東京帝国大学附属図書館図書目録編纂嘱託、宗教制度調査会委員、神社制度調査会委員、神祇院参与、皇典講究所理事などを務めた[2][3][4]。また、実業界では、尾三銀行重役、尾張貯蓄銀行重役、金剛山電気鉄道監査役を歴任した[3][4]

1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して活動し[2]、死去するまで在任した[2][8]

1941年昭和16年)5月12日に死去。65歳没[1][2]

栄典 編集

位階
勲章等

著作 編集

編著
  • 赤堀又次郎との共編『平家物語 : 国文綱要』東京専門学校出版部、1901年。
  • 岡田正美との共編『奈良時代文範 上巻』大日本図書、1906年。

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j 霞会館 1996, p. 790.
  2. ^ a b c d e f g 衆議院 & 参議院 1990, p. 75.
  3. ^ a b c d e 神社新報社 1986, p. 180.
  4. ^ a b c d e f g 人事興信所 1940, p. セ26.
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 貴族院事務局 1947, p. 14.
  7. ^ 『官報』第6324号、明治37年7月29日。
  8. ^ 貴族院事務局 1947, p. 50.
  9. ^ 『官報』第7653号「叙任及辞令」1908年12月28日。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献 編集

  • 人事興信所『人事興信録』 上(12版)、人事興信所、1940年。 
  • 貴族院事務局『貴族院要覧(丙)』(昭和21年12月増訂)貴族院事務局、1947年。doi:10.11501/1653722 
  • 神社新報社『神道人名辞典』神社新報社、1986年。 
  • 衆議院、参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館平成新修旧華族家系大成』 上巻、吉川弘文館、1996年。 
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
千秋家初代
1884年 - 1941年
次代
千秋季孝