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右田 寅彦(みぎた のぶひこ、慶応2年2月6日1866年3月22日) - 大正9年(1920年1月11日)は大正時代の劇作家歌舞伎狂言作者、小説家

略歴編集

豊後国(現・大分県)臼杵に臼杵藩士の子に生まれる。右田年英の実弟。柳塢亭、矮亭主人と号す。明治10年代、11歳時には上京、三田英学校や漢学塾に学んだ後、高畠藍泉に師事する[1]めざまし新聞都新聞において多くの戯曲の脚本、艶種(つやだね)や雑報などを執筆した。その後、東京朝日新聞に入社して主に小説を書いた。明治38年(1905年)には栗島狭衣らと文士劇の劇団、若葉会を結成する。明治42年(1909年)に帝国劇場が開場されるのに伴い、立作者となって多数の戯曲を執筆した。その作品に「塩原高尾」、「生島新五郎」、「水谷高尾」、「堀部妙海尼」、「鎌倉武士」、「お江戸日本橋」などが挙げられる。

作品編集

  • 「盲目の美人」 薫志堂 明治22年(1889年)
  • 「花盗人」 金桜堂 明治22年
  • 「花錦出世奴」 博覧社 明治22年
  • 「平家姫小松」 岩本五一 明治23年(1890年) 以上、全て口絵は右田年英

脚注編集

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  1. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、224p。

参考文献編集

  • 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名事典』 日外アソシエーツ、2004年
  • 山田奈々子 『木版口絵総覧』 文生書院、2005年