和田昌景

江戸時代後期の長州藩医

和田 昌景(わだ まさかげ、安永8年(1779年) - 嘉永4年1月12日1851年2月12日))は、江戸時代後期の長州藩医。20石。桂小五郎(木戸孝允)の実父。専門は眼科と外科。

木戸孝允生誕地として公開されている和田邸

略歴 編集

周防国熊毛郡呼坂村(山口県周南市)の医者・藤本玄盛(ふじもとげんせい)の次男。萩城下町で学び、文化14年(1817年)、天野元政を祖とする藩医・和田文琢の養子となる。

最初の妻に長州藩侍医田辺玄養(たなべげんよう)の娘を迎え、二女をもうける。長女・捨子の婿に周防国佐波郡宮市(山口県防府市)の町医者・小泉雄仙(こいずみゆうせん)の弟・文譲(ぶんじょう)を迎えて養子とする。捨子が病没した後は次女・八重子が文譲の後妻となる。

文政8年(1825年)、妻が病死したのち、長州藩士平岡氏の臣・猪口平馬(いのくちへいま)の娘・清子を後妻に迎える。清子との間に54歳で初の男子・小五郎をもうける。

和田家の跡継ぎにはすでに養子の文譲がいたため、実子の小五郎は次男として扱われる。近所に住む藩士の桂孝古は跡継ぎがなく病床にあり、天保11年(1840年)4月、孝古に乞われて7歳の小五郎を末期養子に出した。

嘉永元年(1848年)3月、後妻の清子が死去。昌景は民間の治療も行っており、多額の現金や不動産をもつ財産家であった。嘉永2年(1849年)4月、遺言状を作り、小五郎に「銀拾貫目」を相続させている。小五郎18歳の嘉永4年(1851年)、72歳で没。

家族 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集