メインメニューを開く

坊城 俊克(ぼうじょう としかつ)は、江戸時代後期の公卿坊城俊親の子。坊城俊明の養子[1]官位従一位大納言

経歴編集

京都で誕生する。文化10年(1813年)叙爵。職事を長年にわたって務め、職事の主席である頭弁蔵人頭右大弁)に昇る。嘉永3年(1850年参議、左大弁。安政4年(1857年権中納言となる。また議奏となり、安政6年(1859年)には武家伝奏として、条約勅許問題、水戸降勅、将軍継嗣問題和宮降嫁など、朝幕の調停に大きく関与した。また文久元年(1861年勅使として和宮降嫁に従って江戸に入り、武家伝奏任命の際の血誓を廃止することに成功した。

文久2年(1862年大納言元治元年(1864年大宰権帥を兼任。慶応元年(1865年従一位となるも、同年没。

脚注編集

  1. ^ a b 『公家事典』550-551頁。
  2. ^ 次女。ふさこ、阿野公誠

参考文献編集

  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館、2010年。