坊城俊周
日本の実業家
坊城 俊周(ぼうじょう としかね、1927年(昭和2年)3月17日[1][2] - 2011年(平成23年)5月31日[2])は、日本の実業家。フジテレビジョン常務取締役、共同テレビジョン社長。宮中歌会始披講会会長。
ぼうじょう としかね 坊城 俊周 | |
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生誕 |
1927年3月17日 日本 東京府東京市 |
死没 | 2011年5月31日(84歳没) |
死因 | 心不全 |
出身校 | 学習院高等科文科 |
職業 | 実業家 |
子供 | 坊城俊成 |
親 | 坊城俊良・坊城朔子 |
来歴・人物
編集東京市で伯爵・坊城俊良の四男として生まれる[1][3]。1947年、学習院高等科文科を卒業[2]。1948年から宮内庁式部職嘱託となり、歌会始講師(こうじ)、宮中歌会始披講会会長を務めた[2]。
1949年、文化放送に入社[2]。1958年、フジテレビジョンに転じ、編成局長、取締役、常務を歴任し、1998年に退任した[2]。また、1980年には共同テレビジョン社長に就任し、会長も務めた[2]。
1960年4月6日、フジの『スター千一夜』に島津貴子が出演した[5]。これには当時芸能部、第二班長だった坊城の側面からの協力が大きかった[5]。というのも、島津家と坊城家は戦前から親交があって、坊城の両親が、島津久永・貴子の結婚の仲人をしたからである[5]。貴子が出演したこの日は、ちょうど新婚1ヶ月目に当たり、三木鶏郎がインタビューアーだった[5]。視聴率は、41.5%であった[5]。
親族
編集著書
編集- 『アポロの月 : 歌集』坊城俊周、1987年1月。
- 『立春大吉 : 歌文集』坊城俊周、1996年2月。
- 『金婚 : 歌文集』坊城俊周、2005年10月。
- 坊城俊周著、三田芳美編『坊城家代代記』坊城俊周、2011年2月。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年11月。ISBN 978-4642036719。
- 『現代物故者事典 2009~2011』日外アソシエーツ、2012年3月。ISBN 978-4816923579。
- 村上七郎『ロングラン マスコミ漂流50年の軌跡』扶桑社、2005年6月。ISBN 978-4594049478。