堤 言長(つつみ ことなが、1813年11月14日文化10年10月22日) - 1821年12月3日文政4年11月9日))は、江戸時代公家勘解由次官堤家11代目当主。

 
堤 言長
時代 江戸時代
生誕 1793年2月21日寛政5年1月11日
死没 1859年9月6日安政6年8月10日
官位 従五位上勘解由次官
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 堤家
父母 父:堤広長
母:菊(松平頼裕の娘)
兄弟 堤維長、道子(津守国福室)[1]
養子:堤哲長
テンプレートを表示

生涯

編集

権中納言堤広長の子として生まれる。母は松平頼裕の娘の菊。堤家の家督を継ぎ11代当主となる。官位は従五位上勘解由次官[2][3]

1821年12月3日文政4年11月9日)、死去。甥の堤哲長が養子になり堤家の家督を継いだ[3]

系譜

編集

脚注

編集
  1. ^ 鷹司政熈の十二女で堤広長の養女。
  2. ^ 1983年『弁官補任』
  3. ^ a b 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』