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増山 たづ子(ますやま たづこ、1917年大正6年) - 2006年平成18年)3月7日)は、岐阜県揖斐郡徳山村(現・揖斐川町)出身のアマチュア写真家である。愛称はカメラばあちゃん。甥に映画『ふるさと』原作者の平方浩介がいる。

目次

生涯編集

太平洋戦争で夫(増山徳冶郎)を亡くし(インパール作戦で行方不明[1])、その後は農業のかたわら民宿を営んでいた[1]

昭和30年代徳山ダムの建設が計画され、徳山村は全村が水没することを知る。個人的にはダム建設に反対であったというが、「国がやろうと思うことは戦争もダムも必ずやるから、反対するのは大河に蟻がさからうようなもの」としてこの事実を受け止めた。

その後は徳山村の記録を残したいという思いから、当初はテープレコーダーで村の行事や生活音を録音し始め、1977年(昭和52年)10月10日の徳山村運動会から写真を撮り始める。消え行く村の人々の表情、四季、自然、家、建物、風景、祭り、風習、民俗など、あらゆる物を撮り続けた。村が廃村となった後も、2006年に88歳で亡くなるまで転居先の岐阜市内から徳山へ通い続けた。

生涯に撮影した写真は8万枚に及び、没後には10万カットに及ぶネガと600冊ものアルバムが残された[1]。写真集『故郷-私の徳山村写真日記』(じゃこめてい出版、1983年、絶版)『ありがとう徳山村』(影書房、1987年、絶版)『増山たづ子 徳山村写真全記録』(影書房、1997年 ISBN 4-87714-239-8)等を出版した。また、日本各地で写真の展覧会を行った。

徳山村を舞台にした映画『ふるさと』(神山征二郎監督、1983年)にも出演している。

写真を撮り始めた理由は、「もし夫が帰ってきた時に村が無くなっていたら説明のしようがない」と考えたことだったという[1]。写真集にも同じ趣旨の記述が見られる。また2008年、フジテレビ系列「エチカの鏡」でも紹介された。

晩年は岐阜放送気ままにブランチ」でレギュラーのゲストを務めていた。2006年3月7日、心筋梗塞のため岐阜市の病院で死去。88歳没[2]

1984年エイボン女性年度賞の『エイボン女性功績賞』を受賞した。死後の2014年、第30回東川賞飛弾野数右衛門賞を受賞[3]

使用カメラ機材編集

写真を撮り始めた当初は、近所の住民にフィルムを入れ替えてもらっていたという[1]。その後、民宿の客に「素人の自分でも写せるカメラはないか」と相談したところ、「猫がけっころがしても(けっとばしても)写るものがある」とピッカリコニカ[4]を勧められ、愛用するようになった[1]

注釈編集

関連項目編集

外部リンク編集