浪花落語反対派
(大八会から転送)
概要・歴史
編集1910年、桂派一派の総帥だった3代目桂文枝が他界したことで、桂派は衰退。この機会を捉え、上本町にあった富貴席主の岡田政太郎は、寄席の入場料を値下げし、誰でも気楽に楽しめる色物(軽口、物まね、剣舞、曲芸、義太夫、女講談等)を中心にした「反対派」(岡田興業部)を旗揚げし、従来の桂派、三友派などと競い合った。
しかし、1920年、岡田政太郎が死去すると共に衰退に向かい、1921年、実子で2代目富貴席主の岡田政雄のもと、同じく非主流派で天満の第二文藝館を本拠とした花月派(吉本興行部)と業務提携(事実上、吸収合併)し、消滅した。
その他諸派
編集江戸
編集上方
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ あの噺家は誰だ?『わろてんか』の実在のモデルを推理してみた ismedia、2018年1月2日、2019年12月5日閲覧
出典
編集- 『落語と私』桂米朝(文藝春秋〈文庫〉、1986年(昭和61年)、ISBN 4-16-741301-9)
- 『吉本興業の研究』堀江誠二(朝日新聞社(文庫)、1994年(平成6年)ISBN 978-4022610591)
- 『図説 落語の歴史』山本進(河出書房新社、2006年(平成18年)、ISBN 4-309-76079-1)
- 放課後ホンネの日本史 - なにわの近現代史Ⅱ