大門大橋
大門大橋(だいもんおおはし)は、富山県射水市の庄川に架かる主要地方道高岡青井谷線のトラス橋・桁橋である。
大門大橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 富山県射水市 |
交差物件 | 庄川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 富山県道73号高岡青井谷線 |
管理者 | 富山県高岡土木センター |
竣工 | 1961年(昭和36年)[3] |
開通 | 1962年(昭和37年)11月15日[1][2] |
座標 | 北緯36度44分6.5秒 東経137度2分37.3秒 / 北緯36.735139度 東経137.043694度 |
構造諸元 | |
形式 | トラス橋・桁橋[3] |
材料 | 鋼 |
全長 | 443.5 m[3] |
幅 | 7.5 m[3] |
関連項目 | |
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諸データ
編集沿革
編集1609年(慶長14年)の高岡城築城により北陸道が高岡と富山城下を結ぶルートに改められたのを機に、1646年(正保)3年に現在の大門大橋より下流地点に初めて庄川に橋が架けられた[6]。この時の庄川には渡船と橋を併用したルートが整備され、『大門大橋』と名乗った。右岸側では架橋を機に大門の町並みが発展した[5]。1668年(寛文8年)の大洪水の後、大門大橋は西は乗り継ぎ舟越しとなった[7]。
1848年には全川架橋の本格的な木橋『大門橋』が5か月かけて架橋された。長さ150m、幅員が狭いため駒除け(待避所)が2箇所設けられていて、当時の越中国では愛本橋に次ぐ古い橋であった[3][7]。
その後洪水による流失の度に度々架け替えられていたが[5]、1888年(明治21年)12月[8]、長さ82間の木橋が架設され[5](これにより総延長は243間となった、なお、幅員は3.33間であった[8])、庄川の別名、雄神川にちなんで『雄神橋(おがみはし)[注釈 1]』と改称された。1907年(明治40年)2月の庄川の河道改修工事に伴い、長さ243間、幅20尺の木橋に架け替えられた[5][10]。
長い間国道の橋として使用されてきたが、1937年(昭和12年)に高岡大橋が開通したのを機に国道の橋の指定から外れ、1938年(昭和13年)に長さ441.3 m(244間)、幅3.8 m(2間3尺)の木桁橋に架け替えられた[5][11]が、国道から外れたため先代より幅員が狭くなった[12]。1952年(昭和27年)には戦後の新しい工法による一大補修工事が行われ[12]、同時に旧称にならい、現在の『大門大橋』に改められた[3]。この橋は土橋であったため、排水が悪く、結果的に腐朽、損傷を早めることになった。その後、町を挙げての運動や正力松太郎の努力もあって、1957年(昭和32年)9月に国営事業による永久橋建設が決定し、旧橋より130m上流地点にて1958年(昭和33年)3月に着工した[13]。しかし、その矢先の同年4月23日、旧橋が決壊し交通不能になった[14]。
現在の橋は道路橋が1961年(昭和36年)竣工[3]、1962年(昭和37年)11月15日開通[1][2]、この時点での幅員は6mであった[15]。
その後、自動車の通行量が急増し歩行者の通行が危険となってきたため、1971年(昭和46年)9月に下流側に歩道橋を設置する工事が始まり、1972年(昭和47年)4月20日に歩道橋(延長443.5m幅員、幅員1.5m、融雪装置付き)が完成した[16][17]。その後上流側の歩道橋が、富山県により総事業費13億5千万円を投じて建設され、1996年(平成8年)7月10日に開通した。総延長は和田川の錦橋を含めた671m、幅員は3.5m、歩道橋の親柱や勾欄などには、大門の曳山や庄川の清流に注ぐ鮎、凧をイメージしたデザインが施されている[18][17]。
その他
編集大門神社、枇杷首神社の秋季祭礼である大門曳山まつりでは、4基の曳山が大門大橋を往復する橋渡しが見所である[1]。現在の車道橋が1962年(昭和37年)に完成してからはトラス橋の構造の関係で高さ調節可能な枇杷首の曳山以外は渡れなくなったが1996年(平成8年)の歩道橋開通によって解消された[4]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 本橋の上流に架かっている同名の橋とは無関係。なお、同名の雄神橋は1906年(明治39年)架橋当初は『庄金剛寺橋』、1910年(明治43年)以降は『元雄神橋』という名称であった。現在の雄神橋に改称したのは、当橋が大門大橋に改称された10年後の1962年(昭和37年)である[9]。
出典
編集- ^ a b c 『写真アルバム 高岡・氷見・射水の昭和』(2018年2月20日、いき出版発行)137ページ。
- ^ a b 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)97頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『富山大百科事典 下巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)23ページ。
- ^ a b c 『写真アルバム 高岡・氷見・射水の昭和』(2018年2月20日、いき出版発行)138ページ。
- ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)494ページ
- ^ 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)67頁。
- ^ a b 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)12頁。
- ^ a b 『富山縣紀夢』(1909年9月26日、富山県発行)237頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)203ページ
- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか -歴史との出会い-』(1991年12月、高岡市発行)355頁。
- ^ 『高岡市史 下巻』(第2刷、1982年11月30日、高岡市著、青林書院新社発行)772頁。
- ^ a b 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)68頁。
- ^ 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)23、68頁。
- ^ 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)96頁。
- ^ 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)23、24頁。
- ^ 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)24、98頁。
- ^ a b 『大門町史 続巻』(2005年9月15日、大門町発行)166頁。
- ^ 『大門町合併50周年記念誌』(2004年3月1日、大門町役場総務課発行)24、102頁。