大阪府立河南高等学校

日本の大阪府富田林市にある公立の高等学校

大阪府立河南高等学校(おおさかふりつ かなん こうとうがっこう、: Osaka Prefectural Kanan High School)は、大阪府富田林市にある公立高等学校。前身は府立8番目の高等女学校だが、明治初期1875年に開場の女紅場を源流としている[1][2]

大阪府立河南高等学校
正門前2014年平成26年〉9月撮影)
過去の名称 富田林女紅場
富田林高等小学校付設裁縫学校
大阪府富田林町外六ケ村学校組合立女子技芸学校
大阪府南河内郡実科高等女学校
大阪府南河内郡立河南高等女学校
大阪府立河南高等女学校
大阪府立富田林高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
設立年月日 1912年明治45年)4月1日
創立記念日 5月1日
創立者 南河内郡
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 27165K
所在地 584-0038
大阪府富田林市錦ケ丘町1-15

北緯34度29分58.7秒 東経135度35分30.4秒 / 北緯34.499639度 東経135.591778度 / 34.499639; 135.591778座標: 北緯34度29分58.7秒 東経135度35分30.4秒 / 北緯34.499639度 東経135.591778度 / 34.499639; 135.591778
外部リンク 公式サイト
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概要編集

全日制普通科の高校。1912年明治45年)南河内郡による実科高等女学校として創立した(文部省告示第103号3月30日付で設置と4月開校を認可[3])。その後、高等女学校に昇格し、から大阪府へ移管されたため、府立では8番目の高女となる。

太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校の大阪府立河南高等学校に改編。いわゆる高校三原則の下、工業科などを併設する総合制課程の総合高等学校となった。その後1960年代普通科単科に改編されている。

2021年令和3年)度の入学者選抜(入学試験)向けの学校案内では「河南は南河内の伝統校! 創立100年越え!!」と紹介している[4]

この背景には、大阪府内の九つの学区2007年平成19年)に四つに再編され、2014年には学区そのものが撤廃された結果、過疎化の進む南河内地方から生徒が都心の高校(大阪市阿倍野区天王寺区)に流出したことがある。1901年明治34年)に8番目の府立中学校(旧制)として設立の「地元の名門校」大阪府立富田林高等学校は生き残りを懸け、卒業生の衆議院議員竹本直一らを巻き込み、府教委に働きかけた結果、2017年度から中高一貫教育校に改編された[5]

河南高校も、堺市など南海高野線沿線の学校に生徒が流出した。反面、松原市からの志願者は増えており、志願者数最多は羽曳野市で、続いて富田林市の順といい、地元・南河内地方では根強い人気があると分析している[6]

授業1時限50分間で6限授業、週31-34限授業で、進路指導に注力している。

沿革編集

1901年(明治34年)南河内郡の郡会が、郡立女学校の設置を決議した。しかし時期尚早として無期延期となり、「まず裁縫女学校を設置して将来の女学校創設に備える」という構想を立て、1906年に富田林高等小学校に付設して裁縫学校を開設した。

4年後の1910年富田林町と6村による学校組合が女子技芸学校を設置したが、わずか2年で廃校。1912年、郡立で家政のみ教える実科高等女学校が開校した。この実科高女が学校の起源となっており、2012年平成24年)に100周年記念式典も開いている。

実科高女は1921年大正10年)、大阪府に移管され高等女学校の大阪府立河南高等女学校となった(文部省 告示第282号4月5日付で移管と改称を認可[7]1928年に大阪府立富田林高等女学校と改称)。

戦後の1948年学制改革によりに大阪府立河南高等学校が発足。大阪府立富田林高等学校旧制中学校の府立富田林中学)と生徒・教職員を交流(入れ替え)して男女共学化。開校式が実施された5月1日創立記念日としている。

当初、普通科・工業科・商業科・家庭科からなる総合制高等学校だったが、商業科・家庭科は短期間で廃止。工業科も1962年に新設の大阪府立河南工業高等学校(現・大阪府立藤井寺工科高等学校)に移管・継承させる形で募集停止。在籍者が卒業した1965年に廃止された。

また1951年には、中河内郡松原町立中学校(現・松原市立松原中学校)に併設する形で[8]、定時制松原分校を設置(松原市上田3丁目・松原市立第三保育所の付近)。10年後1966年に松原分校は廃校となり、在籍の生徒は大阪府立河南工業高等学校定時制課程へ移籍となった。

年表編集

基礎データ編集

交通アクセス編集

学校施設編集

校舎1950年代から1970年代の建築のままで、旧耐震基準既存不適格であり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2007年平成19年)から2014年度にかけ改修を行った[14]

なお、太平洋戦争終戦直後1948年5月19日アメリカなど占領軍GHQの指示で、校舎が新制の富田林町立中学校(現・富田林市立第一中学校)に転用され、一時期、富田林高校内に移転して2校で同居していた(1951年6月19日、現在地に校舎復帰)。

諸活動編集

部活動編集

高校関係者と組織編集

関連団体編集

  • 大阪府立河南高等学校同窓会 - 同窓会。通称「たちばな会」

高校関係者一覧編集

政治・行政編集

経済編集

芸能編集

スポーツ編集

関連項目編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 創立100周年記念事業 募金趣意書 ◆◆◆河南高等学校同窓会◆◆◆” (日本語). 大阪府立河南高等学校同窓会. 2020年11月2日閲覧。
  2. ^ a b 大阪府立河南高校サブページ(校長あいさつ)” (日本語). 大阪府立河南高等学校. 2020年11月2日閲覧。
  3. ^ a b 官報 明治45年3月30日第8631号
  4. ^ 学校案内パンフレット(Web版大阪府公立高校進学フェア旧第3学区)” (日本語). 大阪府立河南高等学校 (2020年8月2日). 2020年11月2日閲覧。
  5. ^ 産経新聞2014年平成26年)6月10日朝刊 中高一貫校 大阪府立で初 29年度にも富田林高に中学併設
  6. ^ 平成29年度 大阪府立河南高等学校 第1回学校協議会 報告
  7. ^ a b 官報 大正10年(1921年)4月23日第2600号
  8. ^ 松原中学校は1956年に別の場所に移転し、それ以降は松原分校が校舎を単独使用していた。
  9. ^ 官報明治45年(1912年)3月30日第8631号
  10. ^ 池田師範学校の創立と発展 |国立大学法人 大阪教育大学” (日本語). 大阪教育大学. 2020年11月2日閲覧。
  11. ^ 大阪第二師範学校女子部(大阪教育大学の前身校の一つ)として使用されたのち、1951年から富田林市立第一中学校が使用
  12. ^ 官報大正7年(1918年)4月23日第1714号
  13. ^ 河南高校同窓会報「たちばな」第14号 平成27年10月15日
  14. ^ 棟別耐震性能一覧表【府立学校】” (日本語). 大阪府庁. 2020年11月2日閲覧。
  15. ^ “全国高校軟式野球準Vの大阪府立河南高、地元・富田林市長を訪問 市にとっても「大きな栄誉」” (日本語). 産経新聞. (2018年9月14日). https://www.sankei.com/west/news/180914/wst1809140099-n1.html 2020年10月2日閲覧。 
  16. ^ “【日本高校ダンス部選手権】スモールクラスで福岡・柳川初優勝” (日本語). 産経新聞. (2019年8月15日). https://www.sankei.com/sports/news/190815/spo1908150014-n1.html 2020年10月2日閲覧。 
  17. ^ “【スニーカーエイジ】近大付属校「難しい曲やりきった」 阪南大高に準グランプリ、河南高に府教育委員会賞” (日本語). 産経新聞. (2016年12月26日). https://www.sankei.com/west/news/161226/wst1612260016-n1.html 2020年11月2日閲覧。 

外部リンク編集