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天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - )は、日本の演出家

あまの としひこ
天野 利彦
生年月日 (1933-02-03) 1933年2月3日(86歳)
出生地 愛知県
国籍 日本の旗 日本 
職業 演出家
ジャンル テレビ映画、テレビドラマ
活動期間 1969年 - 2005年

目次

来歴編集

愛知県出身。日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。『特別機動捜査隊』より助監督として参加し、1969年放送の第422話『上流階級』で監督デビューを果たす。続く『特捜最前線』ではメイン監督として一人で全体部の4分の1以上に当たる132本を演出。

同番組終了後は約1年ブランクを置いたあとに『ベイシティ刑事』で同枠に復帰、後続の『はぐれ刑事純情派』、『さすらい刑事旅情編』、『風の刑事・東京発!』といった刑事ドラマシリーズに長期に携わった。『はぐれ刑事』『さすらい刑事』の全テレビシリーズに監督として携わったのは天野のみである。

『特別機動捜査隊』のエピソード『空から来た男』に代表されるようにスリリングな演出で、『ベイシティ刑事』においてアクション物を得意とするフリーの監督陣が作品世界を手堅くまとめていく中、唯一撮影所専属としてその異彩さを放っていた。

70歳を越えても精力的に作品を撮り続け、35年以上の長きに渡り監督として活躍し続けてきたが、2005年に17年続いたライフワークの『はぐれ刑事』シリーズが終了したことにより第一線を退いている。

エピソード編集

  • 当時天野の下で助監督として付いていた藤井邦夫によると、女優が泣きながらディスコで踊るというシーンがうまく撮れなかった時、天野はつかつか女優の下に歩み寄り、女優の頭を台本で叩いた。女優がそれでワッと泣き出すとすかさず「踊れ!」と指示してカメラを回したという。女優が泣きながら踊り終えシーンを撮影し終わった後「なんだよ、ちゃんと踊れるじゃない」と平然と言い放ったとのこと。藤井はホントに無茶をする監督だと内心冷汗をかいたという。
  • 『特捜最前線』がスタートしたとき天野は番組ローテーションに入っておらず(『特捜』は当初前番組『特別機動捜査隊』の監督は使わないという方針でスタートしていた)、その時天野は同時期に放送されていた特撮作品の『ロボット110番』に監督として参加していた。そんな時東映の深沢道尚プロデューサーから『特捜』の参加要請があり、まず1本をテストで撮ることになった。その後天野が演出した作品の出来がプロデューサーらに気に入られ、以降番組終了までメイン監督として携わり、数多くの演出を担当した。
  • 天野のニックネームは「東洋の神秘」。当時テレビ朝日プロデューサーの高橋正樹の命名である。
  • 天野が『特捜』で最も信頼していた役者は大滝秀治だった。またその大滝からも「天野さんの演出は泥臭い。けどその泥臭さが洗練されている」との評価を受けており、他の役者から天野に対する愚痴を聞くことがあっても「あの人(天野)は監督として優秀だから、いいんだよ」と逆に擁護したという。
  • 横光克彦三ツ木清隆などの証言によると、役者間からは怖くて厳しい監督として通っていたという。とあるエピソードでまったく演技が出来なかった横光に何度もダメを出し「明日もダメならこの役は別の刑事にやらせる!」と言い放ったり、三ツ木の演技に納得が行かなかった際には20回以上も撮り直しを言い渡したこともある。
  • 『特捜最前線』に途中参加した桜木健一がセリフや演技に関するいろいろな提案を天野に行っても、それらは殆ど拒否されたとのこと。非常に頑固な監督だったと桜木は後に述懐している。また西田健によると天野は非常に口下手であったともいうが、そこがまた職人肌を感じさせ音楽の使い方が抜群にいい監督であったとのことである。。
  • しかし『はぐれ刑事純情派』をプロデュースしていた島田薫によると、後年の天野は温厚な監督であったとのことである。また、役者がNGを連発し、現場がピリビリムードになっていた時天野が、突然大きなくしゃみをして雰囲気を和ませ、無事に撮影を終えたといったエピソードも披露している。
  • 「天野カントクは情緒的な演出が本当に上手かったからね。また俺からわざわざ言わなくても通じ合う部分もあるんだ。俺とはゴールデンコンビと呼ばれていたからね。できれば『特捜』のラスト3本も天野カントクに撮って欲しかったんだけどね」と長坂秀佳が自身の著書『長坂秀佳術』にて語るほど、天野への信頼は絶大なものがあった。
  • 天野も『特捜最前線』では長坂や塙五郎への信頼は厚かったが、シナリオの出来に納得が行かなかった場合には容赦なく厳しかった。とある前後編のシナリオを自身で目を通してみて「気に食わない」と判断した天野は、ライターの阿井渉介(当時は文瓶)をロケ先の旅館まで呼び出し、ロケ当時の朝まで脚本を書き直させた。しかしその改訂稿も気に入らなかったので、仕方なく元のシナリオで撮影を敢行。この事を後で知ったプロデューサーは、天野に対して叱責したという。
  • 『特捜最前線』DVDセレクションVol.4には天野自薦という触れ込みで、第380話「老刑事・対決の72時間!」、第399話「少女・ある愛を探す旅!」が収録された。ただしインタビューでは自身の『特捜』の会心作について聞かれた時には「特には無いなぁ。でも強いて言うなら『子供の消えた十字路』かもね」と答えていた。

主な監督作品編集

テレビ(連続)編集

  • 特別機動捜査隊(1961 - 1977年、東映テレビ朝日)※監督デビュー作品 ?本(22本以上)担当
  • ロボット110番(1977年、東映・テレビ朝日)2本担当
  • 特捜最前線(1977 - 1987年、東映・テレビ朝日)132本担当
  • ベイシティ刑事(1987-1988年、東映・テレビ朝日)2本担当
  • はぐれ刑事純情派(シリーズ1)※以下♯(1988年、東映・テレビ朝日)2本担当
  • さすらい刑事旅情編(シリーズ1)※以下♯(1988-1989年、東映・テレビ朝日)5本担当
  • はぐれ刑事純情派♯2(1989年、東映・テレビ朝日)2本担当
  • さすらい刑事旅情編♯2(1989 - 1990年、東映・テレビ朝日)6本担当
  • はぐれ刑事純情派♯3(1990年、東映・テレビ朝日)4本担当
  • さすらい刑事旅情編♯3(1990 - 1991年、東映・テレビ朝日)11本担当
  • はぐれ刑事純情派♯4(1991年、東映・テレビ朝日)6本担当
  • さすらい刑事旅情編♯4(1991 - 1992年、東映・テレビ朝日)6本担当
  • はぐれ刑事純情派♯5(1992年、東映・テレビ朝日)8本担当
  • さすらい刑事旅情編♯5(1992 - 1993年、東映・テレビ朝日)9本担当
  • はぐれ刑事純情派♯6(1993年、東映・テレビ朝日)4本担当
  • さすらい刑事旅情編♯6(1993 - 1994年、東映・テレビ朝日)8本担当
  • はぐれ刑事純情派♯7(1994年、東映・テレビ朝日)5本担当
  • さすらい刑事旅情編♯7(1994 - 1995年、東映・テレビ朝日)6本担当
  • はぐれ刑事純情派♯8(1995年、東映・テレビ朝日)6本担当
  • 風の刑事・東京発!(1995 - 1996年、東映・テレビ朝日)8本担当
  • はぐれ刑事純情派♯9(1996年、東映・テレビ朝日)7本担当
  • はぐれ刑事純情派♯10(1997年、東映・テレビ朝日)8本担当
  • はぐれ刑事純情派♯11(1998年、東映・テレビ朝日)9本担当
  • はぐれ刑事純情派♯12(1999年、東映・テレビ朝日)7本担当
  • はぐれ刑事純情派♯13(2000年、東映・テレビ朝日)6本担当
  • はぐれ刑事純情派♯14(2001年、東映・テレビ朝日)5本担当
  • はぐれ刑事純情派♯15(2002年、東映・テレビ朝日)1本担当
  • はぐれ刑事純情派♯16 (2003年、東映・テレビ朝日)3本担当
  • はぐれ刑事純情派♯17 (2004年、東映・テレビ朝日)2本担当
  • はぐれ刑事純情派ファイナル (2005年、東映・テレビ朝日)1本担当

テレビ(単発)編集

関連人物編集