宇都宮 大潔(うつのみや おおきよ、文化元年8月(1804年) - 明治8年1月18日(1875年))は、江戸時代末期から明治時代初期の土御門家陰陽師歌人播磨飾磨英賀(現在の姫路市飾磨区)の生まれ。大潔はであり、昌斎を大進、は鐸綱、隠居後に鍬斎とした。

若い頃より国学和歌に興味を持ち、大江広海に師事して万葉集を学んだ。本居宣長を独学したが、のちに賀茂季鷹に和歌・国学・などの教えを受ける。宇都宮家は高持百姓として石高を得ていたが、それ以外に家相の診断や和歌の指導などで収入を得ていた。

『菅野屋集』・『青藍集』・『鰒玉集』などに和歌が載せられている。学問は博識で郷土史研究に貴重な研究を遺している。

教育熱心な姿勢を貫き、明治維新の後、70歳の高齢で小学校の教師をしている。

享年72。その死を悼み、多くの門弟が墓碑を建立している。

著述 編集

  • 『播磨奇人伝』
  • 『播磨後風土記』
  • 『地理天機』

関連項目 編集

出典 編集

  • 宮崎修二朗「播磨奇人伝のこと」『翻刻 播磨奇人伝』宇都宮大潔編著、播磨学研究所、2006年。
  • 大国正美「解説 宇都宮大潔と播磨奇人伝」同上。