室賀満俊
日本の戦国時代~江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。甲斐武田家・徳川家の家臣。駿河丸子城将室賀満正の子で、旗本室賀氏初代当主。江戸幕府槍奉行を勤めた
室賀 満俊(むろが みつとし)は、戦国時代の武将、江戸幕府旗本。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 寛永3年3月24日(1626年4月20日) |
別名 | 源七郎、兵庫助 |
墓所 | 泉岳寺(東京都港区) |
幕府 | 江戸幕府旗本、槍奉行 |
主君 | 武田勝頼、徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 屋代氏支流室賀氏 |
父母 | 室賀満正 |
兄弟 | 善龍、屋代正長、正武、屋代秀正、依田九助室、満俊 |
妻 | 桜井信忠の娘、飯室昌則の娘 |
子 | 室賀正俊 |
略歴
編集甲斐国の戦国大名・武田勝頼の家臣だったが、天正10年(1582年)3月の織田信長の甲州征伐により武田氏が滅んだ後、兄の正武が真田昌幸に謀殺されると徳川家康の下へ降った。天正12年(1584年)上杉氏から徳川方へ鞍替えした兄・屋代秀正とともに上杉景勝と戦い、功があったという。天正13年(1585年)秀正とともに虚空蔵山城に入って上杉軍と戦ってこれを撃退した。その後も徳川氏に仕え、慶長19年(1614年)から始まった大坂の陣には冬夏双方に出陣した。元和7年(1621年)には徳川家光の槍奉行となった。没後の家督は秀正の次男・正俊が継承した。