更級郡
郡域
編集古代
編集出土した木簡などから大宝律令以前はのちの埴科郡と共に「科野評(しなのこおり)」を構成していたと考えられる[1]。長屋王家木簡では「讃信郡」との郡名表記もなされている。
神護景雲2年(768年)続日本紀に全国から善行のあった9人が朝廷から褒美を得た記述があり、4人までもを信濃の国の人が占めた。その内の建部大垣が当郡の人とされている。
日本最古の官社名を記した書である「延喜式神明帳」延長5年(927年)に武水別神社、波田(現治田神社)神社、佐良志奈神社,長谷神社、氷鉋斗売神社、日置神社、清水神社、当信神社、波閉科神社、布制神社等が記載されている。
和名類聚抄には郷について村上[要曖昧さ回避]・当信・小谷[要曖昧さ回避]・更級[要曖昧さ回避]・清水[要曖昧さ回避]・斗女・池[要曖昧さ回避]・氷鉋と、現在では東筑摩郡に属している麻続(麻績)が当郡に含まれていたという記述がある。
千曲市八幡の社宮司遺跡から出土した9世紀前半の須恵器に付いていた漆紙文書(前半の時期は「守部」の表記が多く後半に「八千」の表記の物が夥しい)に、出挙と呼ばれる古代の貸借税制の内容が書かれていることから、郡衙の位置として比定されている[2]。
聖徳太子の活躍を支えたとされる秦河勝の子の広国が当郡(現千曲市)桑原の地を所領とし、松本市波田町や小県郡長和町,飯山市木島平などに庶流を広げたが更級の嫡流は鎌倉時代に秦能俊が四国へ移り長宗我部氏を名乗ったと伝えられている。
また夏目漱石の祖先発祥の地とも伝えられ、現坂城町の村上氏の庶流が鎌倉時代に奥州征伐の功により夏目郷(石川荘か?)に地頭として配されて夏目氏を名乗ったのがルーツとされている。
式内社
編集神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
更級郡 | |||||||
凡例を表示 |
近世以降の沿革
編集知行 | 村数 | 村名 | |
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幕府領 | 旗本領 | 3村 | 上氷鉋村、○今井村、○塩崎村 |
藩領 | 信濃松代藩 | 80村 | ○上五明村、○上平村、○新山村、○山田村、○力石村、須坂村、○若宮村、○網掛村、○羽尾村、○向八幡村、○御幣川村、○会村、○原村、○小松原村、○二ツ柳村[4]、○丹波島村、小網新田村、○大豆島村、○牧島村、○杵淵村、○真島村、小森村、○横田村、○藤牧村、○広田村、○布施村[5]、○下氷鉋村、○田ノ口村、○牛島村、○山平林村、○氷熊村、○竹房村、○高野村、○吉原村、大原村、○日名村、本鹿谷村[6]、外鹿谷村[6]、下市場村、○牧野島村、吐唄村、○和田村、四ツ屋村、○川合村、川合新田村、○山布施村、○有旅村、灰原村、小田原村、南牧村、●○桑原村、●石川村、●綱島村、●○小島田村、●中牧村、●○西寺尾村、●○東福寺村、○赤田村、●牧田中村、○稲荷山村、●○大塚村、○安庭村、●○三水村、○布施高田村、○中沢村、○志川村、○村山村、松岡新田村、青池村、今泉村、中山新田村、●○八幡村、●○大岡村[7]、小聖新田[8]、軽井沢村、境新田村、大田原村、○青木島村、布施五明村、○郡村 |
信濃上田藩 | 2村 | ○岡田村、戸部村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・上田藩 | 1村 | ○今里村 |
旗本領・上田藩 | 1村 | 中氷鉋村 | |
その他 | 大英寺領 | 1村 | 大池新田[9] |
- 慶応4年2月17日(1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。
- 明治2年
- 明治3年9月17日(1870年10月11日) - 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治初年 - 山田村が改称して上山田村となる。
- 明治5年(1872年)(86村)
- 明治6年(1873年)(83村)
- 明治7年(1874年)(81村)
- 7月 - 小網新田村が上平村に合併。
- 大田原村が桑原村に合併。
- 明治8年(1875年)(1町71村)
- 7月 - 稲荷山村が改称して稲荷山町となる。
- 12月 - 中沢村が東福寺村に合併。
- 布施村および藤牧村・戸部村の各一部が合併して御厨村となる。
- 広田村および藤牧村・戸部村の各残部が合併して田牧村となる。
- 吐唄村・和田村・南牧村が合併して弘崎村となる。
- 宮平村・根越村・和平村・川口村が合併して大岡村となる。
- 丹波島村が青木島村に合併。
- 小聖新田の一部(日影組)が大岡村、残部が中牧村に合併。
- 軽井沢村が改称して田沢村となる。
- 明治9年(1876年)(1町68村)
- 6月 - 本鹿谷村・外鹿谷村が合併して信級村となる。
- 氷熊村・境新田村および有旅村の一部が合併して氷ノ田村となる。
- 有旅村の一部が山平林村に編入。
- 小田原村が田沢村に合併。
- 明治12年(1879年)1月4日(1町64村)- 郡区町村編制法の長野県での施行により、下記の変更が行われる。
町村制以降の沿革
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・長野市。(1町26村)
- 稲荷山町(単独町制、現・千曲市)
- 布施村 ← 布施五明村、布施高田村
- 上山田村 ← 上山田村、新山村、力石村(現・千曲市)
- 村上村 ← 上平村、網掛村、上五明村(現・埴科郡坂城町)
- 更級村 ← 羽尾村、若宮村、須坂村(現・千曲市)
- 八幡村、桑原村(それぞれ単独村制。現・千曲市)
- 塩崎村(単独村制)
- 川柳村 ← 石川村、二ツ柳村
- 信田村 ← 田ノ口村、赤田村、灰原村、氷ノ田村、高野村、田沢村
- 牧郷村 ← 中牧村、弘崎村、牧田中村、牧野島村、下市場村、竹房村
- 大岡村(単独村制)
- 信級村 ← 日名村、大原村、信級村
- 更府村 ← 吉原村、三水村、山平林村、安庭村
- 信里村 ← 有旅村、山布施村
- 岡田村 ← 小松原村、岡田村
- 御幣川村 ← 横田村、会村、御幣川村
- 中津村 ← 今井村、原村
- 御厨村、今里村(それぞれ単独村制)
- 上氷鉋村 ← 上氷鉋村、四ツ屋村
- 稲里村 ← 下氷鉋村、中氷鉋村、田牧村
- 真島村 ← 真島村、川合村
- 小島田村(小島田村の大部分が単独村制)
- 青木島村 ← 青木島村、大塚村、綱島村
- 東福寺村 ← 東福寺村、小森村
- 西寺尾村 ← 西寺尾村、杵淵村
- 牧島村および小島田村の一部が埴科郡寺尾村の一部となる。
- 明治23年(1890年)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治25年(1892年)10月14日(1町28村)
- 大正3年(1914年)4月21日 - 布施村が町制施行・改称して篠ノ井町となる。(2町27村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)7月1日 - 笹井村・今里村が合併して川中島村が発足。(2町26村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
郡制廃止後の沿革
編集1927年(昭和2年)5月12日 - 郡内一帯で遅霜。クワ、ブドウ、リンゴ畑に多くの被害。特に、クワの葉は多くが変色して郡内の養蚕業に大きな打撃を与えた[15]。
- 昭和3年(1928年)4月1日 - 篠ノ井町・栄村が合併し、改めて篠ノ井町が発足。(2町25村)
- 昭和24年(1949年)11月3日 - 上山田村が町制施行して上山田町となる。(3町24村)
- 昭和25年(1950年)7月1日 - 篠ノ井町・東福寺村・川柳村が合併し、改めて篠ノ井町が発足。(3町22村)
- 昭和29年(1954年)7月1日 - 篠ノ井町・共和村が合併し、改めて篠ノ井町が発足。(3町21村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和32年(1957年)8月1日 - 篠ノ井町が埴科郡松代町の一部(杵淵)を編入。
- 昭和34年(1959年)
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 村上村が埴科郡坂城町に編入。(2町3村)
- 昭和41年(1966年)10月16日 - 川中島町・信更村・更北村が長野市・篠ノ井市・埴科郡松代町・上高井郡若穂町・上水内郡七二会村と合併し、改めて長野市が発足、郡より離脱。(1町1村)
- 平成15年(2003年)9月1日 - 上山田町が更埴市・埴科郡戸倉町と合併して千曲市が発足し、郡より離脱。(1村)
- 平成17年(2005年)1月1日 - 大岡村が長野市に編入。同日更級郡消滅。長野県内では1878年の郡の再編以来、初の郡消滅となった。
変遷表
編集明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正1年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和25年 | 昭和26年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和35年 | 昭和36年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
布施村 | 布施村 | 大正3年4月21日 町制改称 篠ノ井町 |
昭和3年4月1日 篠ノ井町 |
昭和25年7月1日 篠ノ井町 |
昭和29年7月1日 篠ノ井町 |
篠ノ井町 | 昭和34年5月1日 篠ノ井市 |
昭和41年10月16日 長野市の一部 |
長野市 | 長野市 |
御幣川村 | 明治23年5月24日 改称 栄村 |
栄村 | ||||||||
東福寺村 | 東福寺村 | 東福寺村 | 東福寺村 | |||||||
川柳村 | 川柳村 | 川柳村 | 川柳村 | |||||||
岡田村 | 明治23年5月17日 改称 共和村 |
共和村 | 共和村 | |||||||
信里村 | 信里村 | 信里村 | 信里村 | 信里村 | 昭和30年4月1日 篠ノ井町に編入 | |||||
塩崎村 | 塩崎村 | 塩崎村 | 塩崎村 | 塩崎村 | ||||||
上氷鉋村 | 明治23年5月17日 改称 笹井村 |
大正13年7月1日 川中島村 |
川中島村 | 川中島村 | 昭和31年9月30日 川中島町 | |||||
今里村 | 今里村 | |||||||||
中津村 | 中津村 | 中津村 | 中津村 | 昭和30年4月1日 昭和村 | ||||||
御厨村 | 御厨村 | 御厨村 | 御厨村 | |||||||
信田村 | 信田村 | 信田村 | 信田村 | 信田村 | 昭和31年6月1日 信更村 | |||||
更府村 | 更府村 | 更府村 | 更府村 | 更府村 | ||||||
稲里村 | 稲里村 | 稲里村 | 稲里村 | 昭和30年1月1日 更北村 |
更北村 | |||||
真島村 | 真島村 | 真島村 | 真島村 | |||||||
小島田村 | 小島田村 | 小島田村 | 小島田村 | |||||||
青木島村 | 青木島村 | 青木島村 | 青木島村 | |||||||
西寺尾村 | 西寺尾村 | 西寺尾村 | 西寺尾村 | 昭和30年4月1日 埴科郡松代町の一部 |
埴科郡 松代町 | |||||
大岡村 | 大岡村 | 大岡村 | 大岡村 | 大岡村 | 大岡村 | 大岡村 | 平成17年1月1日 長野市に編入 | |||
牧郷村 | 牧郷村 | 牧郷村 | 牧郷村 | 牧郷村 | 昭和31年9月30日 大岡村に編入 | |||||
昭和31年9月30日 上水内郡 信州新町に編入 |
上水内郡 信州新町 |
平成22年1月1日 長野市に編入 | ||||||||
信級村 | 信級村 | 信級村 | 信級村 | 昭和30年3月31日 上水内郡信州新町の一部 |
上水内郡 信州新町 | |||||
明治25年10月14日 分立 日原村 |
日原村 | 日原村 | ||||||||
稲荷山町 | 稲荷山町 | 稲荷山町 | 稲荷山町 | 昭和30年4月1日 稲荷山桑原町 |
昭和30年12月1日 改称 稲荷山町 |
昭和34年6月1日 更埴市の一部 |
更埴市 | 平成15年9月1日 千曲市の一部 |
千曲市 | |
桑原村 | 桑原村 | 桑原村 | 桑原村 | |||||||
八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | ||||||
上山田村 | 上山田村 | 上山田村 | 昭和24年11月3日 町制 |
昭和30年7月1日 上山田町 |
上山田町 | 上山田町 | ||||
明治25年10月14日 分立 力石村 |
力石村 | 力石村 | ||||||||
更級村 | 更級村 | 更級村 | 更級村 | 昭和30年4月1日 埴科郡戸倉町の一部 |
埴科郡 戸倉町 |
埴科郡 戸倉町 | ||||
村上村 | 村上村 | 村上村 | 村上村 | 村上村 | 昭和35年4月1日 埴科郡坂城町に編入 |
埴科郡 坂城町 |
埴科郡 坂城町 |
埴科郡 坂城町 |
行政
編集- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 吉松集躬 | 明治12年(1879年)1月4日 | ||
2 | 中島精一 | 明治15年(1882年)6月 | ||
3 | 渡辺猶人 | 明治16年(1883年)11月 | ||
4 | 小坂善之助 | 明治16年(1883年)12月 | ||
5 | 中島精一 | 明治19年(1886年)8月 | 2代の再任 | |
6 | 関口友愛 | 明治23年(1890年)5月 | ||
7 | 粟谷平一 | 明治25年(1892年)3月 | ||
8 | 大塚広 | 明治31年(1898年)6月 | ||
9 | 宮沢宗三郎 | 明治34年(1901年)7月 | ||
10 | 島内藹 | 明治38年(1905年)5月 | ||
11 | 川上親賢 | 明治38年(1905年)11月 | ||
12 | 渡部秀之丞 | 明治41年(1908年)12月 | 明治43年(1910年)9月10日[16] | 在任中に死去 |
13 | 津崎尚武 | 明治43年(1910年)9月 | ||
14 | 乾長昭 | 大正3年(1914年)9月 | ||
15 | 田中英 | 大正7年(1918年)7月 | ||
16 | 飯尾六蔵 | 大正8年(1919年)10月 | ||
17 | 見戸浩巍 | 大正11年(1922年)3月 | ||
18 | 須藤信敬 | 大正12年(1923年)2月 | ||
19 | 石原快三 | 大正13年(1924年)1月 | ||
20 | 小林一重 | 大正13年(1924年)12月 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集- ^ 古川貞雄編『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997年)
- ^ 長野県の最新歴史ニュース平成17年2月発表
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 二ツ柳村・柳沢新田村に分かれて記載。
- ^ 記載は上布施村。上布施村・下布施村に分かれており、明治3年に両村が合併して布施村となったとする資料もある。
- ^ a b ○鹿谷村1村として記載。
- ^ ●○宮平村・梶平村・町田村・下大岡村・平村・桐沢村・長瀬村・川口村・栗尾村(上栗尾村・下栗尾村)・根越村・笹久村・石津村・泥平村・覆盆沢村・中挟村・門増村・代村・南小松尾村・越中川村・佃見村・白井沢村・和平村・くぬ木村(「くぬ」は木偏に荒)・萱苅場村・仏風村・女蔵里村・大田和村・雨池村・慶師村・花見村(外花見村・内花見村)・萩野窪村・宮野脇村・八重堀村・椛内村・芦野尻村・北小松尾村・高市場村に分かれて記載。他に浅苅新田・祖師新田があったが記載なし。
- ^ 小聖新田・聖沢村に分かれて記載。
- ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。
- ^ 八幡村のうち武水別神社領。「旧高旧領取調帳」には八幡村の一部として記載。
- ^ 宮平組に属した宮平村・上栗尾村・下栗尾村・雨池村・慶師村・外花見村・内花見村・萩野窪村・宮野脇村・八重堀村・椛内村・芦野尻村・北小松尾村・高市場村・浅苅新田・祖師新田の区域。
- ^ 根越組に属した根越村・笹久村・石津村・泥平村・覆盆沢村・中挟村・門増村・代村・南小松尾村・越中川村・佃見村・白井沢村の区域。
- ^ 和平組に属した梶平村・町田村・下大岡村・平村・桐沢村・長瀬村・和平村・くぬ木村(「くぬ」は木偏に荒)・萱苅場村・仏風村・女蔵里村・大田和村の区域。
- ^ 第2回長野県市町村合併審議会 資料4(歴史的地域区分について) (PDF, 695 KB)
- ^ 見渡す限り真っ黒に-各地の被害『信濃毎日新聞』昭和2年5月13日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p538-539 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 大植 1935, 1181頁.
参考文献
編集- 『長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 長野県公式ホームページ 現在の市町村名から(合併の経過を)調べる
- 「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。