富浦駅 (北海道)

北海道登別市にある北海道旅客鉄道の駅

富浦駅(とみうらえき)は、北海道登別市富浦町2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線である。事務管理コードは▲130316[2]

富浦駅
駅全景(2009年9月)
とみうら
Tomiura
H30 幌別 (5.5 km)
(2.4 km) 登別 H28
地図
所在地 北海道登別市富浦町2丁目
北緯42度26分30.93秒 東経141度9分23.36秒 / 北緯42.4419250度 東経141.1564889度 / 42.4419250; 141.1564889座標: 北緯42度26分30.93秒 東経141度9分23.36秒 / 北緯42.4419250度 東経141.1564889度 / 42.4419250; 141.1564889
駅番号 H29
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 室蘭本線
キロ程 92.3 km(長万部起点)
電報略号 ミラ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
8人/日
-2014年-
開業年月日 1953年昭和28年)12月20日[1]
備考 無人駅
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歴史 編集

当地では簡易乗降場の設置が長年要望されており、幌別町(当時)当局でも繰り返し国鉄に対し設置要望活動を行っていた[3]

 
1976年の富浦駅と周囲約500m範囲。左が東室蘭方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

年表 編集

  • 1951年(昭和26年)6月:幌別町が再三にわたる富浦地区への乗降場設置要望活動を国鉄に対し行う[3]
  • 1952年(昭和27年)9月:国鉄が乗降場の設置を許可するが、地域住民が要望した現駅付近ではなく、約1 km 幌別方の富浦市街地の外れへの設置許可であり、引き続き国鉄と設置場所について交渉が行われる[3]
  • 1953年(昭和28年)
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]

駅名の由来 編集

地名より[4][5]

もともと当地は「蘭法華(らんぼっけ)」という地名であったが、「字が難しい[4]」として、1934年(昭和9年)の字名改正・境界整理に伴い、「『漁業の豊かな入り江』になることを願って[6]」当地の字が「富浦」となり[6]、これが駅名となった[4]。その後、1974年(昭和49年)にも町名地番改正を実施しているが、この時にも名称が引き継がれ、現在当地の町名は「富浦町」となっているが、[6]

「蘭法華」の名称はアイヌ語に由来し、同地の東側にアイヌ語で「リフㇽカ(ri-hur-ka)[注釈 1]」と呼ばれた丘陵があり[5]、そこから和名で通称「七曲りの坂[6]」と呼ばれた急坂を下りたところに、アイヌ語で「ランポッケ(ran-pok-ke)」(坂・の下・の処)あるいは「ランポㇰ(ran-pok)」(坂の・下)と呼ばれたアイヌのコタン(村)があったことによる名称である[4][5][6]。これに和人によって「蘭法華」の字が当てられた[4][5][6]

駅構造 編集

相対式ホーム2面2線をもつ地上駅無人駅である。対面ホームへは構内踏切を渡る。駅舎はなく、待合所があるのみである。開設から現在に至るまで登別駅の管理下に置かれている[3]

のりば 編集

ホーム 路線 方向 行先
北側 室蘭本線 下り 登別苫小牧方面
南側 上り 東室蘭室蘭方面

利用状況 編集

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
2020年(令和02年) 「10名以上」 [7]
2021年(令和03年) 「10名以下」 [8]
2022年(令和04年) 「10名以下」 [9]

1日の平均乗降人員は以下の通りである[10]

乗降人員推移
年度 1日平均人数
2011 12
2012 12
2013 6
2014 8

駅周辺 編集

隣の駅 編集

北海道旅客鉄道(JR北海道)
室蘭本線
幌別駅 (H30) - 富浦駅 (H29) - 登別駅 (H28)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「高い・丘・の上」を意味する[5]

出典 編集

  1. ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、852頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、225頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f 登別市史編さん委員会 編『新登別市史登別市、2021年、437頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12360036 
  4. ^ a b c d e f 北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、70頁。ASIN B000J9RBUYdoi:10.11501/12068975https://dl.ndl.go.jp/pid/12068975/1/1 
  5. ^ a b c d e 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 392. ISBN 978-4-88323-114-0 
  6. ^ a b c d e f 登別市史編さん委員会 編『新登別市史登別市、2021年、613-614, 616頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12360036 
  7. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2021年9月30日). 2022年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月1日閲覧。
  8. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道. 2022年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月9日閲覧。
  9. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2023年). 2023年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月26日閲覧。
  10. ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月26日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集