専守防衛

日本の防衛政策

専守防衛(せんしゅぼうえい、英語: Exclusively Defense-Oriented Policy[1])とは、第二次世界大戦後の日本の独自の防衛戦略の基本姿勢である[2]

対義語としては「積極防衛」という概念がある。

日本編集

昭和29年自衛隊・防衛庁が発足となり、昭和30年杉原荒太防衛庁長官の国会答弁において言われたのが最初とされる(第二十二国会衆議院内閣委員会議事録)。

その後、中曽根康弘防衛庁長官時の昭和45年に「防衛白書」が初刊され正式用語として記載される。昭和56年防衛白書において「専守防衛」とは、相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢と記載され、その後の国会での内閣閣議決定答弁において定義として用いられている。

日本の防衛は、日米安全保障条約を基軸として、日本としての自衛隊アメリカ軍によるものであり、そのため先制攻撃・敵基地攻撃能力や、集団的自衛権自衛隊海外派遣等が議論されている。

他国編集

侵攻してきた敵を自国の領域で軍事力を以って撃退することは国土が戦場となるため損害も大きく、基本的に可能な限り自国の領域外(他国内)で軍事力を以て撃退することが世界的に一般的な考え方である。

第二次世界大戦の敗戦国であるドイツは、ナチスのような軍事政権の復活を防ぎ、悲劇を繰り返さないために用途を専守防衛に限定し、文民統制を敷いた。注目すべきは「抗命権」の存在である。転換点は1990年代ドイツ連邦軍カンボジアソマリアユーゴスラビア派兵である。ドイツの最高裁判所は、議会の承認を得たものなら海外派兵は憲法違反ではないとの判断を出した。しかし、ドイツ国民はそうした海外派兵は平和部隊の復興任務のようなものと想像しており、ドイツ兵が現地民の殺害に加担したり、自軍から戦死者を出したことも明るみに出ると、対外派兵の正当性と意義について論争が巻き起こるようになった[3]

過去15年間に、後方支援から始まった外国紛争地での役割はずるずると拡大し続けた。ドイツ連邦軍が現地での戦闘に参加したり、戦死者を出すようになっており、ドイツにおいては専守防衛の原則は過去のものとなりつつある[4]。ドイツ国防省は、2011年に廃止された徴兵制に代わり、優秀な人材確保のために意欲と即戦力を持った志願兵がふさわしいと改革を進めた。しかし、軍の改革策に危惧する人々たちは、国防省がそんな考えだから、コソボ、アフガニスタン、イラクといった「侵略戦争」に加担したのだと批判している[5]

脚注編集

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  1. ^ Fundamental Concepts of National Defense”. 防衛省. 2016年11月5日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年6月12日閲覧。
  2. ^ 日本放送協会. “防衛白書制作物語 きっかけは渋谷109のポケモン レックウザ” (日本語). NHK政治マガジン. 2021年8月21日閲覧。
  3. ^ ジェーソン・オーバードーフ (2013年11月12日). “専守防衛を捨てたドイツ軍の行く先は”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/11/post-3098.php 2016年1月31日閲覧。 
  4. ^ ジェーソン・オーバードーフ (2013年11月12日). “専守防衛を捨てたドイツ軍の行く先は”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/11/post-3098.php 2016年1月31日閲覧。 
  5. ^ ジェーソン・オーバードーフ (2013年11月12日). “専守防衛を捨てたドイツ軍の行く先は”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/11/post-3098.php 2016年1月31日閲覧。 

関連編集