小栗孝一
略歴
編集出生時の姓は和田。5歳のときに伯母(母の姉)の養子となり、小栗姓となった。高等小学校を卒業後は兄が勤める鉄工所で働き、1954年から米菓子の原料の仕入れ販売業、バーナーの開発・販売業、印刷機の販売業、次いで化学薬品製造業[1]を営んだ。
馬主としては当初地方競馬の馬主資格しか有していなかったが、オグリキャップの活躍後の1989年7月に[1]中央競馬の馬主資格も取得し、オグリローマンでクラシック優勝を達成した。
馬主としての所有馬
編集服色は青、黄菱山形、桃袖赤一本輪を使用。
脚注
編集参考文献
編集- 渡瀬夏彦『銀の夢 オグリキャップに賭けた人々』講談社、1992年。ISBN 4062052822。