小野 俊賢(おの としかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士毛利氏の家臣。

 
小野俊賢
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永禄3年(1560年
死没 不明
改名 慶千代丸(幼名)→俊賢
別名 通称:市二郎
主君 毛利輝元
氏族 小野氏
父母 養父:小野俊久
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生涯 編集

永禄3年(1560年)に生まれ、毛利氏家臣である小野俊久の養子となる。

永禄5年(1562年9月3日、養父・俊久は妻が懐妊したことを市川経好に報告し、生まれた子の男女に関わらず生まれた子に長門国厚狭郡末益名[1]内の30石足の所領を譲り、俊賢(当時は幼名は慶千代丸)を名代にすることを取り決めた。

永禄10年(1567年5月7日福原貞俊の加冠を受けて元服。また、養父・俊久が筑前国宝満山城に入城することとなったため、同年10月13日、小野氏の家督と鎌倉時代以来の代々の証文を俊久から譲られた。

小野氏の家督を継いだ俊賢だったが早世し、その後は俊久の実子の俊資が後継となった。

注釈 編集

  1. ^ 現在の山口県山陽小野田市末益。後に厚狭毛利家が居館を構える地となる。

参考文献 編集