小黒部鉱山(こくろべこうざん)は、かつて富山県黒部市および立山町に存在した鉱山モリブデン鉱を産出した。

小黒部鉱山
所在地
小黒部鉱山の位置(富山県内)
小黒部鉱山
小黒部鉱山
所在地富山県下新川郡内山村(現:黒部市
富山県中新川郡立山村(現:立山町
日本の旗 日本
座標北緯36度38分32秒 東経137度38分26秒 / 北緯36.642270312176855度 東経137.64060951723565度 / 36.642270312176855; 137.64060951723565座標: 北緯36度38分32秒 東経137度38分26秒 / 北緯36.642270312176855度 東経137.64060951723565度 / 36.642270312176855; 137.64060951723565
生産
産出物モリブデン
歴史
開山1910年代前半?
閉山1920年頃?
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

概要 編集

大正時代初期、立山連峰池平山の東斜面にてモリブデンを含む輝水鉛鉱が見いだされると、数年のうちに小黒部谷と大窓雪渓の出合い付近で鉱山が稼働し始めた。採掘された鉱石は、索道により上市町方面へ搬出されている。事務所と飯場は、池ノ平山東方の鞍部(現在の池の平)に存在し、1915年剱岳登山に訪れた小暮理太郎田部重治が宿泊している。産出量のピークは1917年で、日本のモリブデン生産量の76%を占めたが、突然閉山に至る。1922年に鉱山跡を訪れた冠松次郎は、「五棟の飯場は皆傾き、帳簿や伝票類が乱雑に散らばっている・・・」といった状況を日本山岳会会誌「山岳」(山岳二十一年二月号)にて述べており[1]、閉山が短期間のうちにあわただしく行われたことが伺われる。

その後、第二次世界大戦中、戦後のごく短期間に2度開鉱したが長続きはしなかった。戦時中に建てられた鉱山の事務所や飯場の建物は、後に池の平小屋に転用された[2]

脚注 編集

  1. ^ 上田應輔 編『剱・池の平讃』 剱・池の平会 1993年 14-15頁
  2. ^ 池の平小屋の歴史 池の平小屋ホームページ 2017年8月8日閲覧

関連項目 編集