尾崎 宏次(おざき ひろつぐ、1914年11月24日 - 1999年11月9日)は、日本演劇評論家[1]

日本文芸家協会、日本演劇協会、国際演劇協会、各会員[2]。(財)国際演劇協会日本支部顧問、(財)都民劇場理事[3]。日本演劇協会理事[4]

人物

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東京市日本橋浜町出身。樺太の旧制豊原中学を経て、1937年東京外国語学校独語科を卒業して都新聞(現東京新聞)に入社し、劇評を担当[5]

戦後の1946年[6]、復員して東京新聞に復帰し、1954年に退社して、フリーとなる[5]。1966年から20年間にわたって雑誌「悲劇喜劇」の編集に携わる[2]

1961年には、ベルリン映画祭審査員を務めた[5]。戦後新劇の代表的評論家として新劇界の重鎮であった。一方で、1960年代中期から起きたアングラ演劇小劇場演劇に対しては批判的または無視の態度を貫いた。日本演劇協会理事、国際演劇協会顧問、都民劇場理事。ドイツ文学の翻訳もある。ロシア文学者の上田進(本名、尾崎義一)は実兄[1]

著書

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  • 演劇ラジオテレビ映画 偕成社 1955(図説文庫)
  • 新聞社 パッカードに乗った森の石松 光文社 1955
  • 開幕五分前 生きている演劇論 学風書院 1955
  • 映画の俳優 その名声と演技力 同文館 1956(映画の知識シリーズ)
  • 新劇の足音 東京創元社 1956
  • 演劇はどこにある 三芽書房 1957
  • 現代俳優論 白水社 1957
  • 日本のサーカス 三芽書房 1958
  • 現代演技の話 社会思想研究会出版部(教養文庫) 1960
  • 女優の系図 朝日新聞社 1964
  • 日本近代劇の創始者たち 第1-2 未來社 1965
  • 明日の演劇空間 鹿島研究所出版会 1968(SD選書)
  • 戦後演劇の手帖 作家と時代と舞台をめぐって 毎日新聞社 1968 (Core books)
  • 演劇における時間 早川書房 1974
  • 戦後のある時期 早川書房 1979.3
  • 八人の演劇人 早川書房 1984.4
  • 蝶蘭の花が咲いたよ 演劇ジャーナリストの回想 影書房 1988.8
  • 劇場往還 一葉社 1996.12

共編著

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翻訳

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脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『尾崎宏次』 - コトバンク
  2. ^ a b 日外アソシエーツ現代人物情報
  3. ^ 朝日新聞人物データベース
  4. ^ 読売人物データベース
  5. ^ a b c 信濃毎日新聞社 編「カブキの将来憂う 尾崎宏次」『百人百話』信濃毎日新聞社、1972年2月20日、181-183頁。 
  6. ^ 『新聞社』(光文社)P.72