山口稲床
山口 稲床(やまぐち の いなとこ)は、平安時代前期の貴族。姓は宿禰。官位は従五位下・豊後介。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・豊後介 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 山口宿禰 |
経歴
編集仁明朝において春宮坊大属として春宮・恒貞親王に仕えるが、承和9年(842年)承和の変が発生して恒貞親王が春宮を廃されると、稲床も連座して安房権目に左遷された。承和14年(847年)承和の変で罰せられた者に対して入京が許されており、稲床もこれに従って入京したか。
文徳朝の仁寿4年(854年)外従五位下・豊後介に叙任される。豊後介在任中には、同国守・石川宗継が百姓の財物を不法に奪ったことについて、朝廷に対して証明を行っている[1]。
官歴
編集『六国史』による。
脚注
編集- ^ 『日本三代実録』貞観元年12月27日条