山際 順(やまぎわ じゅん、1908年(明治41年)2月15日[1][2] - 没年不明)は、大正末から昭和期の教育者、地方公務員政治家長野県須坂市長(4期)。

来歴 編集

長野県出身[1]。1923年(大正12年)3月に長野県上高井農学校[注釈 1](現長野県須坂園芸高等学校)を卒業[1]。1924年(大正13年)より上高井郡豊丘尋常高等小学校[2][注釈 2]に勤務し、1942年(昭和17年)まで県内の小学校、青年学校の教諭を務める[2]

その後、長野県庁に入庁し、西筑摩地方事務所長、1950年(昭和25年)人事委員会事務局長、1957年(昭和32年)社会部厚生課長などを歴任した[2]

1958年(昭和33年)5月、須坂市助役に転じ、田中邦治市長の病気退任に伴い、推されて1960年(昭和35年)1月、須坂市長に当選し1968年(昭和43年)1月まで2期在任[1][2]。現職松沢令之助との激戦を制して1976年(昭和51年)1月に再び市長に就任し[1][3]、1984年(昭和59年)1月まで2期務め市長に通算4期在任した[3]。その間、新市建設計画に則り、市道の改良整備、須坂温泉、須坂市営動物園・博物館の建設、常備消防の設置、須坂市民会館、新市庁舎の新築、工場誘致条例制定による工場団地の造成と工場誘致、小学校の新設などを進め、従前の生糸の町から機械工業の町への転換を図った[4]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『日本の歴代市長 第2巻』276頁では上高井農学校。
  2. ^ 1924年当時は園里尋常高等小学校。1930年に豊丘尋常高等小学校に改名。現、須坂市立豊丘小学校。須坂市立豊丘小学校ウェブサイトの「沿革」

出典 編集

  1. ^ a b c d e 『現代人物事典: 出身県別 東日本版』833頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第2巻』276頁。
  3. ^ a b 『日本の歴代市長 第2巻』277頁。
  4. ^ 『日本の歴代市長 第2巻』276-277頁。

参考文献 編集

  • 『現代人物事典: 出身県別 東日本版』サン・データ・システム、1980年。
  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。