岡戸半蔵(おかと はんぞう、1752年宝暦2年) - 1824年文政7年))は、江戸時代後期の人物。尾張国知多郡福住村(愛知県知多郡阿久比町)に生まれる。壮年期に妻子に相次いで先立たれ、発心して諸国遍歴の旅に出る。1819年(文政2年)、妙楽寺住職亮山阿闍梨に出会い、霊場開創の大願に感銘。武田安兵衛とともに亮山阿闍梨に協力し、知多四国霊場を開創した。

略歴編集

  • 1752年宝暦2年) - 知多郡福住村の農家に生まれる。
  • 1816年文化13年) - 誓海寺禅林堂(美浜町古布)に大乗妙典六十六部供養塔を建立。
  • 1819年(文政2年) - 妙楽寺住職亮玄阿闍梨に出会い、その大願に感銘。私財を投じて弘法大師尊像の制作に入る。
  • 1823年(文政6年) - 大井医王寺(南知多町大井)にて武田安兵衛と出会う。亮玄は亮山と改め、開創の決意を新たにする。
  • 1824年(文政7年) - 3月、88の札所制定完了。大師尊像の奉安が終わり、開眼供養を修す。始め「准四国霊場」と号す。
  • 1824年(文政7年) - 誓海寺禅林堂にて没する。冷月院禅林逸学庵主。
  • 1825年(文政8年) - 4月8日(グレゴリオ暦5月25日)、武田安兵衛、布土十王堂にて没する。墓所は葦航寺(美浜町布土)。
  • 1834年天保5年) - 弘法大師一千年御遠忌。3月1日より21日まで各寺にて遠忌大法要を厳修。
  • 1847年弘化4年) - 3月18日(グレゴリオ暦5月2日)、亮山阿闍梨、福生寺(知多市新知)にて入寂。墓所は妙楽寺。
  • 1893年明治26年) - 知多新四国霊場と称する。

関連項目編集

参考文献編集

  • 知多四国八十八所遍路(知多四国霊場会編、冨永航平著、朱鷺書房)ISBN 4-88602-320-7
  • 知多四国めぐり(知多四国霊場会編、半田中央印刷株式会社)

外部リンク編集