岡部久綱

日本の戦国時代の武将。子に岡部長秋(子に宣貞(旗本))

岡部 久綱(おかべ ひさつな、生年不詳 - 天文17年(1547年))は、戦国時代武将駿河の大名である今川氏の家臣。出家後の法名常慶(じょうけい)。

 
岡部久綱
時代 室町時代戦国時代
生誕 不詳
死没 天文17年(1547年
改名 久綱→常慶(法名)
別名 信綱(のぶつな、別名)
官位 美濃守
主君 今川義元
氏族 岡部氏 (藤原南家工藤氏)
兄弟 久綱貞綱
正綱長秋、長教[1]、娘(伊丹康直の正室)
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子に正綱長秋(ながあき)、長教、娘(伊丹康直の正室)がいる。

天文10年(1541年)6月 今川義元の命により太原雪斎、久綱の両名が甲府へ派遣され武田信虎隠居の件について交渉を行ったとされる。

脚注 編集

  1. ^ 寛政重修諸家譜』による。通称とされる五郎兵衛・丹波守が、岡部元信のものとも同一とされる事もあるため、しばしば元信を正綱の弟と比定する事がある。元信は正綱の一門である岡部親綱の子とされる。(『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年)

関連作品 編集

テレビドラマ

関連項目 編集