幣原雅子
幣原喜重郎の妻
幣原 雅子(しではら まさこ、1881年12月18日[1] - 1956年7月31日)は、第44代内閣総理大臣である幣原喜重郎の妻。
しではら まさこ 幣原 雅子 | |
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生誕 |
岩崎 雅子 1881年12月18日 日本 |
死没 |
1956年7月31日(74歳没) 日本 |
死因 | 顔面神経麻痺、老衰 |
墓地 | 豊島区の染井霊園 |
配偶者 | 幣原喜重郎(夫) |
子供 |
幣原道太郎(長男) 幣原重雄(次男) 幣原平三(三男) |
親 | 岩崎弥太郎(父) |
親戚 |
加藤春路(異母姉) 岩崎久弥(異母兄) |
経歴
編集三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の四女として生まれる。雅子は妾との間に出来た子供であったため、春路(加藤高明夫人)・久弥・磯路(木内重四郎夫人)の異母妹に当たる。
1903年(明治36年)に雅子が23歳のときに幣原喜重郎と結婚[2]。喜重郎との間に3人の男子をもうけるものの、三男の平三は夭折。長男の道太郎は獨協大学教授となり、次男の重雄は三菱製紙に勤務した[3]。
1956年7月31日、顔面神経麻痺と老衰のため死去[4]。
脚注
編集先代 東久邇聡子 |
内閣総理大臣夫人 1945年10月9日 - 1946年5月22日 |
次代 吉田喜代 |