平山ユージ
日本のフリークライマー
平山 ユージ(ひらやま ユージ、1969年2月23日 - )は、日本のプロ・フリークライマー。 日本有数のプロクライマーで、芸術的なクライミングスタイルで活躍するトップクライマーの一人である[要出典]。東京オリンピックではボルダリング競技の解説を務めた。
東京都出身。身長173cm、体重65kg。既婚者で二児(長男、長女)の父親。本名は平山裕示(ひらやまゆうじ)。
長男は、プロサッカー選手の平山勇太(ひらやまゆうた)。
長女は、女優・ダンサーの平山ひかる(ひらやまひかる)。
経歴
編集東京都立航空工業高等専門学校入学後の15歳からクライミングを始めると短期間で頭角を現し、日本国内の難関ルートを次々に踏破。高専在学時、既に日本のトップクライマーの仲間入りを果たす。17歳でアメリカ合衆国へ渡り、半年間フリークライミングのトレーニングを積んだ。
その後、19歳の時に単身フリークライミングの本場ヨーロッパへ渡り、フランス・マルセイユを拠点に数々の国際クライミングコンペに出場し、1989年のフランケンユーラカップ優勝をはじめ上位入賞の好成績を残す。
- 1987年3月、御前岩エレファントロック最初の課題 アスリーツボディ(7c+)を開拓初登[1]。
- 1988年1月、御前岩パチンコゲーム (8b+)第二登[1]。
- 1997年9月、アメリカ合衆国ヨセミテ渓谷の岩壁(1,100m、サラテルート)を2日間で完登。
- 1998年、日本人初のワールドカップ総合優勝。
- 2000年、総合優勝(2度目)。
- 2003年、再びヨセミテ渓谷エルニーニョのオンサイトトライ。日本最難ルート・フラットマウンテン(5.14d/15a)初登。
- 2004年、スペイン・ホワイトゾンビ(8c)のオンサイトなどを登攀。
- 2007年時点では日本をベースにしており、日本各地や世界各国の大会を転戦し、日産自動車が支援するアウトドア系トップアスリート集団Team X-TRAILに参加していた[3]。
- 2008年、神戸岩のボルダーGinga(V14)初登。アメリカ、ヨセミテのエルキャピタン・the Nose(5.14a・31ピッチ)のスピードアッセント世界最速記録を更新(2時間37分5秒、パートナーはハンス・フローリン)。
- 2009年、世界最難クラックのひとつ、カナダ・スコーミッシュのCobra crack(5.14b/c)の第6登に5日間で成功。このカナダツアーで、平山は14aのスポートルートのオンサイトにも成功した。
- 2016年5月、瑞牆のボルダー・ミネルバ(五段 / V14)を完登。それまでに登ったボルダーの最高グレードを更新した[4]。
- 2016年7月3日 ノルウェーフラタンゲルケイブ Odin's Eye 8c+をレッドポイント[5][6]
- 2019年3月-4月 御前岩 Time Machine (8c+)、Climb Machine(8c+)を開拓初登[7]。
脚注
編集- ^ a b 平山ユージ「御前岩ふたたび」『ROCK & SNOW』78号、山と溪谷社、2017年12月、22-25頁。
- ^ “Yuji Hirayama オフィシャルサイト - メッセージ” (2005年10月11日). 2009年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月7日閲覧。
- ^ “日産が野外スポーツの選手を支援”. 銀座新聞ニュース. オリジナルの2007年8月27日時点におけるアーカイブ。 2012年4月7日閲覧。
- ^ “平山ユージ、瑞牆ボルダー“ミネルバ(五段 / V14)”完登 ”. CLIMBING-net/山と溪谷社. (2016年5月9日). オリジナルの2016年5月10日時点におけるアーカイブ。 2016年5月10日閲覧。
- ^ 平山ユージ、安間佐千「Flatanger Norway 注目の岩場フラタンゲルケイブ」『ROCK & SNOW』73号、山と溪谷社、2016年9月、40-43 76-77。
- ^ “安間佐千、フラタンゲルケイブの”Thor’s hammer(5.15a)”を第7登”. Climbing-Net powered by ROCK & SNOW. 山と溪谷社. 2022-2-1閲覧。
- ^ 平山ユージ「クロニクル 御前岩Time Machine 8c+」『ROCK & SNOW』84号、山と溪谷社、2019年12月、84頁。
参考文献
編集- 羽根田治『ユージ ザ・クライマー』山と溪谷社、2004年。ISBN 978-4635340199。