平島 義景(ひらしま よしかげ)は、江戸時代前期から中期の阿波徳島藩の人物。第5代平島公方。母および妻は『系図纂要』には記載なし。

 
平島義景
時代 江戸時代前期 - 江戸時代中期
生誕 慶長18年1月15日1613年3月6日
死没 元禄10年8月28日1697年10月12日
別名 又次郎(通称
戒名 髙稱院殿龍山道智大居士
墓所 徳島県阿南市那賀川町赤池西光寺
主君 蜂須賀綱矩
阿波徳島藩
氏族 平島足利家
父母 父:平島義次、母:家女
兄弟 義景義国性源硯瑞
義辰
力子(西洞院家養女、桜井家に嫁す)
テンプレートを表示

参考文献

編集
  • 『系図纂要』
先代
平島義次
第5代平島公方
1680年 - 1697年
次代
平島義辰