平島 義武(ひらしま よしたけ)は、江戸時代中期の阿波徳島藩の人物。第7代平島公方。母および妻は『系図纂要』には記載なし。享年84。

 
平島義武
時代 江戸時代中期
生誕 延宝6年2月14日1678年4月5日
死没 宝暦11年12月11日1762年1月5日
別名 熊八郎[1]通称
戒名 雲英院殿廓山道空大居士
墓所 徳島県阿南市那賀川町赤池西光寺
主君 蜂須賀綱矩宗員宗英宗鎮至央重喜
阿波徳島藩
氏族 平島足利家
父母 父:平島義辰
義宜
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脚注編集

  1. ^ 系図纂要』では熊八とする。

参考文献編集

  • 『系図纂要』
先代:
平島義辰
第7代平島公方
1728年 - 1762年
次代:
平島義宜